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ゲーリー・トマソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲイリー・トマソンから転送)
ゲーリー・トマソン
Gary Thomasson
ロサンゼルス・ドジャース時代
(1980年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンディエゴ
生年月日 (1951-07-29) 1951年7月29日(73歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1969年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 1972年9月5日
NPB / 1981年4月4日
最終出場 MLB / 1980年10月6日
NPB / 1982年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ゲーリー・リー・トマソンGary Leah Thomasson, 1951年7月29日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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1972年から1980年までメジャーリーグでプレーし、ロサンゼルス・ドジャースをはじめ計4球団を渡り歩いた。1978年にはニューヨーク・ヤンキースで優勝も経験している。なお、この時のメンバーには後に巨人でもチームメートになるロイ・ホワイトがいた。

1981年読売ジャイアンツに入団。引退した王貞治の穴を埋める存在として期待された。しかしこの年、打率.261、本塁打20本を記録したものの、同時に三振132(当時の球団新記録)を喫し、大幅に期待を裏切り、「舶来扇風機」、「三振王」、「トマ損」、「害人」(外人のもじり)などと揶揄された。また、守備でも、同年の日本シリーズでは、失点にからむ失策を記録した。

2年目の1982年の出場は47試合にとどまり、さらに藤田元司監督とトラブルを起こしたため、同年限りで解雇。

引退後は父から不動産業を継いだ[1]

トマソンの名は、赤瀬川原平らが提唱した「不動産に付着して美しく保存されている無用物」という意味の「超芸術トマソン」という呼び名に転用された。

評価

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  • 藤田元司は、「いい成績は残せなかったけれど、実力はあったと思いますよ。まだまだ若かったし、もう少し日本流の野球をやるように努力すれば、よい結果を出せたと思います。地力は間違いなくあったと思います」とコメントしている[2]
  • 青田昇は、「『トマ損』って彼をバカにしたようなことを言うけど、ホンマ彼はいいところで打ってるで。ガンちゃん(藤田元司)の1年目の優勝なんて、トマソンのおかげだったと思うな。いいところでホームランしてるぜ」とコメントしている[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1972 SF 10 28 27 5 9 1 1 0 12 1 0 0 0 0 1 0 0 7 1 .333 .357 .444 .802
1973 112 261 235 35 67 10 4 4 97 30 2 0 3 1 22 0 2 43 1 .285 .350 .413 .763
1974 120 357 315 41 77 14 3 2 103 29 7 1 3 1 38 0 2 56 9 .244 .329 .327 .656
1975 114 369 326 44 74 12 3 7 113 32 9 3 0 5 37 1 1 48 1 .227 .304 .347 .650
1976 103 361 328 45 85 20 5 8 139 38 8 3 0 2 30 1 7 45 4 .259 .332 .424 .756
1977 145 534 446 63 114 24 6 17 201 71 16 4 4 8 75 1 8 102 7 .256 .367 .451 .818
1978 OAK 47 171 154 17 31 4 1 5 52 16 4 1 2 0 15 0 2 44 3 .201 .281 .338 .618
NYY 55 130 116 20 32 4 1 3 47 20 0 2 0 1 13 0 0 22 0 .276 .346 .405 .751
'78計 102 301 270 37 63 8 2 8 99 36 4 3 2 1 28 0 2 66 3 .233 .309 .367 .676
1979 LAD 115 362 315 39 78 11 1 14 133 45 4 2 2 1 43 1 4 70 5 .248 .344 .422 .767
1980 80 129 111 6 24 3 0 1 30 12 0 0 0 0 17 1 3 26 3 .216 .336 .270 .606
1981 巨人 120 435 402 39 105 23 0 20 188 50 5 7 0 0 32 2 1 132 9 .261 .317 .468 .785
1982 47 86 75 5 14 1 1 0 17 5 0 0 0 1 10 0 0 19 1 .187 .282 .227 .509
MLB:9年 901 2702 2373 315 591 103 25 61 927 294 50 16 14 19 291 5 29 463 34 .249 .336 .391 .727
NPB:2年 167 521 477 44 119 24 1 20 205 55 5 7 0 1 42 2 1 151 10 .249 .312 .430 .741

記録

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背番号

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  • 12(1972年 - 1977年、1978年途中 - 同年終了、1981年 - 1982年)
  • 24(1978年 - 同年途中)
  • 9(1979年 - 1980年)

関連項目

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出典

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  1. ^ 新宮正春『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』講談社文庫、p487
  2. ^ 文藝春秋編『助っ人列伝 プロ野球意外史』文春文庫ビジュアル版、p146、p148
  3. ^ 文藝春秋編『助っ人列伝 プロ野球意外史』文春文庫ビジュアル版、p148

外部リンク

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