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1974年の野球

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1974年 > 1974年のスポーツ > 1974年の野球

1974年の野球(1974ねんのやきゅう)では、1974年野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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セリーグ
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1974年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 中日ドラゴンズ 70 49 11 .588 優勝
2位 読売ジャイアンツ 71 50 9 .587 0.0
3位 ヤクルトスワローズ 60 63 7 .488 12.0
4位 阪神タイガース 57 64 9 .471 14.0
5位 大洋ホエールズ 55 69 6 .444 17.5
6位 広島東洋カープ 54 72 4 .429 19.5
パリーグ
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前期最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 36 23 6 .610 優勝
2位 ロッテオリオンズ 31 27 7 .534 4.5
3位 太平洋クラブライオンズ 30 30 5 .500 6.5
4位 南海ホークス 27 28 10 .491 7.0
5位 近鉄バファローズ 27 32 6 .458 9.0
6位 日本ハムファイターズ 25 36 4 .410 12.0
後期最終成績
順位 球団 勝率
1位 ロッテオリオンズ 38 23 4 .623 優勝
2位 南海ホークス 32 27 6 .542 5.0
3位 阪急ブレーブス 33 28 4 .541 5.0
4位 太平洋クラブライオンズ 29 34 2 .460 10.0
4位 近鉄バファローズ 29 34 2 .460 10.0
6位 日本ハムファイターズ 24 39 2 .381 15.0


1974年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 ロッテオリオンズ 69 50 11 .580 優勝
2位 阪急ブレーブス 69 51 10 .575 0.5
3位 南海ホークス 59 55 16 .518 7.5
4位 太平洋クラブライオンズ 59 64 7 .480 12.0
5位 近鉄バファローズ 56 66 8 .459 14.5
6位 日本ハムファイターズ 49 75 6 .395 22.5

*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定


パシフィック・リーグプレーオフ

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1974年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月5日(土) 第1戦 ロッテオリオンズ 3 - 2 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月6日(日) 第2戦 ロッテオリオンズ 8 - 3 阪急ブレーブス
10月7日(月) 移動日
10月8日(火) 第3戦 雨天中止 県営宮城球場
10月9日(水) 阪急ブレーブス 0 - 4 ロッテオリオンズ
年間優勝:ロッテオリオンズ

日本シリーズ

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1974年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月16日(水) 第1戦 ロッテオリオンズ 4 - 5 中日ドラゴンズ 中日球場
10月17日(木) 第2戦 ロッテオリオンズ 8 - 5 中日ドラゴンズ
10月18日(金) 移動日
10月19日(土) 第3戦 中日ドラゴンズ 5 - 4 ロッテオリオンズ 後楽園球場
10月20日(日) 第4戦 中日ドラゴンズ 3 - 6 ロッテオリオンズ
10月21日(月) 第5戦 中日ドラゴンズ 0 - 2 ロッテオリオンズ
10月22日(火) 移動日
10月23日(水) 第6戦 ロッテオリオンズ 3 - 2 中日ドラゴンズ 中日球場
優勝:ロッテオリオンズ(24年ぶり2回目)

個人タイトル

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 王貞治 巨人   金田留広 ロッテ  
最優秀新人 藤波行雄 中日   三井雅晴 ロッテ  
首位打者 王貞治 巨人 .332 張本勲 日本ハム .340
本塁打王 王貞治 巨人 49本 C.ジョーンズ 近鉄 38本
打点王 王貞治 巨人 107点 長池徳二 阪急 96点
最多安打 松原誠 大洋 157本 福本豊 阪急 156本
盗塁王 中塚政幸 大洋 28個 福本豊 阪急 94個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 294個 張本勲 日本ハム .452
最優秀防御率 関本四十四 巨人 2.28 佐藤道郎 南海 1.91
最多勝利 松本幸行
金城基泰
中日
広島
20勝 金田留広 ロッテ 16勝
最多奪三振 金城基泰 広島 207個 鈴木啓示 近鉄 141個
最高勝率 松本幸行 中日 .690 竹村一義 阪急 .750
最多セーブ投手 星野仙一 中日 10S 佐藤道郎 南海 13S

ベストナイン

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 堀内恒夫 巨人 金田留広 ロッテ
捕手 田淵幸一 阪神 村上公康 ロッテ
一塁手 王貞治 巨人 C.ジョーンズ 近鉄
二塁手 高木守道 中日 山崎裕之 ロッテ
三塁手 長嶋茂雄 巨人 有藤通世 ロッテ
遊撃手 藤田平 阪神 大橋穣 阪急
外野手 G.マーチン 中日 D.ビュフォード 太平洋
末次利光 巨人 張本勲 日本ハム
若松勉 ヤクルト 福本豊 阪急

オールスターゲーム

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高校野球

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大学野球

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社会人野球

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メジャーリーグ

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できごと

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1月

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2月

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  • 2月8日 - 株式会社東京スタヂアムが午前10時より東京球場にて株主総会を開き、精算、決算の報告を承認し、解散となる[5]
  • 2月12日 - 日本野球規則委員会が東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局にて、救援投手に対するセーブ記録の採用などルールの一部改正を発表[6]
  • 2月18日 - セ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今年度から救援投手に「セーブ」が採用されるため最多セーブ投手を表彰することを決定[7]
  • 2月19日 - パ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今年度より最多セーブ投手を表彰する、ダブルヘッダーの第一試合で暴力行為を働いた選手・監督は第二試合に出場させないことなどを決定[8]

3月

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4月

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5月

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  • 5月8日 - 後楽園球場での日本ハム対太平洋3回戦の試合で、7回表に太平洋のファンが日本ハムの三塁手の阪本敏三めがけてビール瓶を投げつけ阪本は頭を裂傷し、日本ハムナインとファンが小競り合いする騒ぎが起きる[22]
  • 5月10日 - 巨人の高田繁が中日球場での対中日5回戦で、セ・リーグタイ記録の1試合6打数6安打[23]
  • 5月16日 - 福岡市は太平洋に対し、同球団が作成した4月27日の試合でのドン・ビュフォードと金田正一が乱闘している写真がデザインされた17日からの対南海4連戦、21日からの対ロッテ3連戦の宣伝用のポスターの回収を要請、オーナーの中村長芳も球団代表の坂井保之に対して撤去を命じる[24]
  • 5月19日
    • 阪急の高井保弘が後楽園球場での対日本ハム9回戦に9回1死一・二塁の場面で今津光男の代打で出場、三浦政基から4号3点本塁打を放ち、代打本塁打13本ののプロ野球タイ記録となる[25]
    • 阪急の森本潔が後楽園球場での対日本ハム9回戦の2回表に3号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[26]
  • 5月21日 - ロッテの山崎裕之が平和台球場での対太平洋7回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[27]
  • 5月23日 - ロッテの木樽正明が平和台球場での対太平洋前期8回戦に先発登板し、3失点の完投で6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[28]
  • 5月26日 - 近鉄の佐々木宏一郎が大阪球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の9回戦に先発し、プロ通算500試合登板を達成[29]
  • 5月30日 - 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神11回戦の三回表に15号3点本塁打を打ち、プロ野球史上初の通算600号本塁打を達成[30]
  • 5月31日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対太平洋6回戦の一回裏に安打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[31]

6月

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  • 6月8日 - 阪急の長池徳士が西宮球場での対南海9回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[32]
  • 6月9日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第2試合の11回戦の7回表に二塁打を放ち、プロ通算350二塁打を達成[33]
  • 6月13日 - 阪神の江夏豊が甲子園球場での対広島11回戦の7回表に深沢修一から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[34]
  • 6月15日 - 阪神の田淵幸一が神宮球場での対ヤクルト9回戦の9回表に18号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[35]
  • 6月20日 - 阪急が西京極球場での対近鉄13回戦に5-3と勝利し、パ・リーグ前期優勝を決める[36]
  • 6月22日
    • 大洋の坂井勝二が川崎球場での対ヤクルト11回戦の4回表に小田義人から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[37]
    • 阪神の一枝修平が甲子園球場での対巨人12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[38]
  • 6月28日 - 阪急の高井保弘が平和台球場での対太平洋クラブライオンズ13回戦の1回表に長池徳二の代打で出場して5号2点本塁打を打ち、プロ野球新記録を更新する14本目の代打本塁打となる[39]
  • 6月29日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト13回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[40]

7月

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  • 7月4日 - パ・リーグの前期の公式戦が終了[41]
  • 7月5日
  • 7月9日 - 川崎球場での大洋ホエールズ対巨人11回戦の二回表巨人の攻撃、先頭打者の河埜和正への初球を主審の平光清はファウルと判定、これに対し巨人の監督の川上哲治が死球だと平光に抗議し、平光は暴力行為があったとして川上に退場を命じる。巨人の監督が退場処分を受けたのは、1956年7月31日の甲子園球場で行われた対阪神16回戦で水原円裕監督が審判に暴力行為で退場処分を受けて以来[45] [46]
  • 7月15日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神14回戦の八回裏に23号満塁本塁打を放ち、プロ野球新記録の通算13本目の満塁本塁打を記録[47]
  • 7月13日 - 太平洋は前サンディエゴ・パドレスのマティ・アルーの入団を正式発表[48]
  • 7月17日 - 日本ハムのテリー・レイが対日生球場での近鉄後期1回戦の一回裏に3つボークを取られ、1イニング3ボークのパ・リーグ新記録[49]
  • 7月21日 - プロ野球オールスターゲーム第1戦が後楽園球場において行われ、9回裏パ・リーグの攻撃中、一死一塁の場面でロッテの山崎裕之の代打に阪急の高井保弘が起用され、オールスターゲーム史上初となる代打逆転サヨナラ本塁打を記録。パ・リーグが3対2で勝利し、高井はこの試合のMVPを獲得[50][51]
  • 7月30日 - 巨人の王貞治が神宮球場での対ヤクルト17回戦の五回表に27号3点本塁打を放ち、プロ通算1500打点を記録[52]

8月

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  • 8月4日 - 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神17回戦の六回表に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[53]
  • 8月6日 - 巨人の長島茂雄が中日球場での対中日14回戦の五回表に2点適時打を放ち、プロ通算1500打点を達成[54]
  • 8月13日 - 広島の山本一義が広島市民球場での対阪神戦19回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[55]
  • 8月16日 - 近鉄の土井正博が日生球場での対日本ハム後期6回戦の六回裏に24号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[56]
  • 8月18日 - 日本ハムの高橋直樹日生球場での対近鉄の後期8回戦で史上唯一の「一人で1試合の勝利投手とセーブ投手の両方を記録」を達成した[57]。この後、ルール改定が行われ、「勝ち投手になった場合、その人物にはセーブをあたえない」という規定が追加されたため、現在では達成不可能。
  • 8月29日 - 日本ハムの張本勲が神宮球場での対太平洋後期8回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[58]

9月

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  • 9月3日 - 中日の飯田幸夫が中日球場での対広島20回戦の九回裏無死満塁の場面で代打で起用され、3号サヨナラ満塁本塁打を放つ。代打サヨナラ満塁本塁打は史上6人目[59]
  • 9月22日 - ロッテの金田留広が静岡での対日本ハムダブルヘッダー第二試合の後期13回戦に先発して16勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[60]
  • 9月26日 - 南海対日本ハムの後期9回戦が後楽園球場で行われ延長11回4対4の引き分けに終わり、ロッテの後期優勝が決まる[61]。南海の佐野嘉幸が六回表に代打として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[62]
  • 9月29日
    • 日本ハムの高橋博士が後楽園球場での南海ダブルヘッダー第二試合の後期13回戦で史上初の1試合全ポジションに付く[63][64]
    • 日本ハムの森中通晴が後楽園球場での対南海ダブルヘッダー第二試合の後期13回戦に登板し、プロ通算500試合登板を達成[65]
  • 9月30日 - 南海の球団社長の新山滋がオーナーの川勝伝に対し、「心身の疲労と企業発展のための新陳代謝」を理由に辞任を申し出て了承される[66]

10月

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  • 10月2日 - パ・リーグの公式戦全日程が終了[67]
  • 10月4日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神24回戦でセ・リーグタイ記録の1試合5敬遠四球[68]
  • 10月9日 - パ・リーグのプレーオフの第3戦が仙台宮城球場で行われ、ロッテが阪急に4対0で勝利し、3連勝で4年ぶり4度目のリーグ優勝[69]
  • 10月11日 - セ・リーグは今季から制定したカムバック賞にヤクルトの石岡康三を選出[70]
  • 10月12日
  • 10月14日
    • 長嶋茂雄が後楽園球場の対中日戦ダブルヘッダーの第2試合(26回戦)後に引退セレモニーを行う[74]。※スピーチの最後に発した「我が巨人軍は永久に不滅です」のセリフは、球史に残る名言として語り継がれている。
    • 阪神は監督の金田正泰と球団代表の戸沢一隆が辞任し、後任の球団代表に球団常務取締役の長田陸夫が就任すると発表[75]
  • 10月15日
    • セ・リーグの全日程が終了し、巨人の王貞治が2年連続で三冠王となる[76]
    • 大洋の監督の宮崎剛が今季限りでの辞任を表明[77]
  • 10月21日
    • 大洋・中部謙吉と太平洋・中村長芳の両オーナーが午後3時から東京・千代田区の大洋漁業本社にて記者会見し、太平洋の監督に大洋の江藤慎一が選手兼任で就任すると正式に発表。太平洋の河原明とのトレードで移籍する[78]
    • 広島は広島市内の球団事務所にて監督の森永勝也の辞任と、打撃コーチのジョー・ルーツの監督昇格を発表[79]
  • 10月22日 - 日本ハムの大下剛史と広島の上垣内誠渋谷通のトレードが成立したと広島の球団代表の重松良典が発表[80]
  • 10月23日 - 日本シリーズの第6戦が中日球場で行われロッテが延長10回3対2で勝利し4勝2敗で24年ぶり2度目の日本シリーズ優勝達成。日本シリーズMVPはロッテの弘田澄男[81]
  • 10月24日
    • 1974年度のプロ野球セ・パ最優秀選手、ベストナイン、最優秀新人を決める記者投票の開票が午前10時から東京・銀座のコミッショナー事務局で開票され、最優秀選手にセ・リーグは王貞治、パ・リーグは金田留広が、最優秀新人選手はセ・リーグは藤波行雄、パ・リーグは三井雅晴が選出される[82]
    • 大洋は新監督にヘッドコーチの秋山登が就任すると発表[83]
  • 10月25日
  • 10月26日
    • 阪神の辻恭彦と大洋の辻佳紀の交換トレードが成立したと阪神、大洋両球団が正式に発表[86]
    • 広島の一軍投手コーチの長谷川良平が球団に対し今季の成績不振の責任を取って辞任を申し出て了承される[87]
  • 10月30日 - 日本ハムの大杉勝男とヤクルトの小田義人内田順三のトレードが成立したと日本ハム、ヤクルト両球団が正式に発表[88]

11月

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  • 11月12日 - 大洋は東京・京橋の球団事務所にて球団代表の矢野純一が辞任し業務担当取締役に、球団社長の横田茂平が球団代表を兼任すると発表[89]
  • 11月18日 - パ・リーグのオーナー懇談会が午後1時から大阪・中之島のホテルにて開かれ、来季より指名打者制度の実施を決める[90]
  • 11月19日 - ドラフト会議が午前11時30分から東京・有楽町の日生会館にて行われる[91]
  • 11月20日 - 巨人の監督の川上哲治が草薙球場で行われた日米親善野球最終戦の試合後に記者会見し、監督の辞任を正式に発表[92][93]
  • 11月21日
  • 11月25日
    • 近鉄の土井正博と太平洋の柳田豊芝池博明の1対2のトレードが成立したと近鉄・太平洋両球団が発表[98]
    • 大洋は、巨人の投手コーチ兼スカウトの藤田元司が大洋の1軍投手コーチに就任したと発表[99]
    • 野球体育博物館に表彰、掲載される球界関係者を選出する競技者表彰委員会が午前11時から東京・有楽町の「アラスカ」にて開かれ記者投票が開票され、藤村富美男藤本定義野球殿堂入りが決定[100]
  • 11月26日 - 沢村賞の選考委員会が正午から東京・有楽町の交通大飯店にて開かれ、中日の星野仙一を選出[101]
  • 11月27日 - 阪神は前巨人の山内一弘が打撃コーチに就任したと正式に発表[102]
  • 11月29日 - 日本ハムは野球評論家の南村侑広が球団広報に就任したと発表[103]

12月

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  • 12月2日 - 巨人の森昌彦が東京・大手町の球団事務所を訪れオーナーの正力亨に対しに退団を申し入れ了承される[104][105]
  • 12月16日 - 広島はゲイル・ホプキンスリッチー・シェーンの入団が決定したと発表[106]
  • 12月18日 - 巨人の菅原勝矢が球団に対し現役引退を申し入れる[107]
  • 12月20日 - プロ野球実行委員会が東京・日航ホテルにて午後1時半より行われ、パ・リーグが指名打者制度の採用を提案、セ・リーグは日本シリーズ、オールスター戦、オープン戦でのセ・パ両リーグのチームが対戦する場合指名打者制は認めないことを条件に、パの指名打者制の導入を認める[108]

誕生

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1月

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2月

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3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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8月

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9月

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10月

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11月

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12月

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死去

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脚注

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  1. ^ 読売新聞1974年1月17日15面「マントル、フォード仲良く殿堂入り」読売新聞縮刷版1974年1月p417
  2. ^ 読売新聞1974年1月19日15面「F・ハワード、太平洋入り」読売新聞縮刷版1974年1月p477
  3. ^ 読売新聞1974年1月20日15面「阪神・藤井トレード」」読売新聞縮刷版1974年1月p505
  4. ^ 読売新聞1974年1月26日15面「早大野球部 新監督に石山氏」読売新聞縮刷版1974年1月p691
  5. ^ 読売新聞1974年2月9日15面「『東京スタヂアム』消滅」読売新聞縮刷版1974年2月p251
  6. ^ 読売新聞1974年2月13日15面「効果的投球をした救援投手『セーブ記録』採用 プロも牛革ボールに 野球ルール一部改正」読売新聞縮刷版1974年2月p355
  7. ^ 読売新聞1974年2月19日15面「最多セーブ投手 セが表彰決める」読売新聞縮刷版1974年2月p537
  8. ^ 読売新聞1974年2月20日15面「パも最多セーブ表彰」読売新聞縮刷版1974年2月p565
  9. ^ 毎日新聞 1974年3月5日
  10. ^ 毎日新聞1974年4月6日夕刊6面「プロ野球も開幕」毎日新聞縮刷版1974年4月p172
  11. ^ 毎日新聞1974年4月7日1面「報徳学園高が初優勝 第46回センバツ 健闘の池田降ろす」毎日新聞縮刷版1974年4月p175
  12. ^ 読売新聞1974年4月7日14面「地元報徳が初優勝 8回、スキつき決勝点」読売新聞縮刷版1974年4月p208
  13. ^ 読売新聞1974年4月9日夕刊7面「アーロン、新記録のアーチ 地元で715号 ルースの記録破る 5万の大観衆熱狂」読売新聞縮刷版1974年4月p279
  14. ^ 読売新聞1974年4月11日15面「阪急・長池が通算1000本安打」読売新聞縮刷版1974年4月p323
  15. ^ 読売新聞1974年4月14日15面「南海・広瀬が通算2千試合出場」読売新聞縮刷版1974年4月p415
  16. ^ 読売新聞1974年4月17日15面「代打待井、初安打がサヨナラ」読売新聞縮刷版1974年4月p503
  17. ^ 読売新聞1974年4月14日15面「南海・小池が通算1500試合出場」読売新聞縮刷版1974年4月p533
  18. ^ 読売新聞1974年4月24日15面「王が通算1000三振」読売新聞縮刷版1974年4月p717
  19. ^ 読売新聞1974年4月25日14面「張本300二塁打」読売新聞縮刷版1974年4月p752
  20. ^ 読売新聞1974年4月14日15面「ロッテ 太平洋 本塁守備めぐって 金田監督ら大乱闘」読売新聞縮刷版1974年4月p855
  21. ^ 読売新聞1974年4月29日15面「太平洋・基が通算100号ホーマー」読売新聞縮刷版1974年4月p879
  22. ^ 読売新聞1974年5月9日14面「後楽園でファン騒ぐ ビン当たり阪本(日本ハム)負傷」読売新聞縮刷版1974年5月p218
  23. ^ 読売新聞1974年5月11日15面「巨人・高田が6打数6安打のセ・タイ記録」読売新聞縮刷版1974年5月p279
  24. ^ 読売新聞1974年5月17日15面「客寄せもこれではー太平洋 乱闘ポスター回収」読売新聞縮刷版1974年5月p463
  25. ^ 読売新聞1974年5月20日15面「阪急・高井が代打通算13本目のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1974年5月p549
  26. ^ 読売新聞1974年5月20日15面「阪急・森本が100号ホーマー」読売新聞縮刷版1974年5月p549
  27. ^ 読売新聞1974年5月22日14面「ロッテ山崎が1000試合出場」読売新聞縮刷版1974年5月p614
  28. ^ 読売新聞1974年5月24日15面「木樽が100勝目 宿敵太平洋に完投」読売新聞縮刷版1974年5月p679
  29. ^ 読売新聞1974年5月27日14面「近鉄・佐々木が500試合登板」読売新聞縮刷版1974年5月p772
  30. ^ 読売新聞1974年5月31日15面「王、待望の600号 16年目ついに達成 伝統カード800試合目」読売新聞縮刷版1974年5月p903
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