石田威仁
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道旭川市 |
生年月日 | 1974年7月30日(50歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 165 lb =約74.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、遊撃手、三塁手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
この表について
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石田 威仁(いしだ たけひと、1974年7月30日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)、指導者。
経歴
[編集]旭川市立啓明小学校4年時に、旭川中央リトルで野球を始める。旭川市立東光中学校に進学[1]。
旭川龍谷高校時代は、2年時の1991年に第63回選抜高等学校野球大会に4番・三塁手として出場[1]。
高校卒業後は、北海道教育大学旭川校に進学。1年春には北海道六大学野球1部のベストナインにも選ばれた[1]。
大学卒業直前の1997年1月に渡米し、アメリカ合衆国アリゾナ州で行われる合同入団テストに最終選考まで残り、独立リーグであるプレーリー・リーグのサスカトゥーン・スモーキンガンズに入団。その後、同リーグ内のウェストマニトバ・ラングラーズに移籍した。
その後、フィラデルフィア・フィリーズと契約。1998年から1999年まで、傘下のルーキーリーグ所属のガルフコースト・フィリーズ、1Aのビードモント・ボル・ウィーブリーズでプレーした後、現役を引退した。
現役引退後、約10年間は会社員生活を送っていた[1]。
元プロ野球関係者の大学野球部監督に関する特別審査規定[2]による審査を経て[3]、2010年4月より旭川大学硬式野球部のコーチに就任し[4]、2011年2月には北原利明の後任で監督に就任した[1]。2015年3月には福岡ソフトバンクホークス三軍との練習試合を実施。知人の紹介で同球団三軍コーチの佐久本昌広に依頼して実現したもので、2011年3月に大学単独チームとNPB所属のプロ球団との練習試合が時期限定で解禁となってから、北海道の大学チームがこの制度を利用するのはこれが初めてだった[5]。同年限りで旭川大学の監督を退任した。
現在は北星学園大学附属高等学校のコーチを務めている[6]。
実子は2024年のドラフト会議で読売ジャイアンツに4位で指名された石田充冴[7]。
参考文献
[編集]- 『北海道人物・人材情報リスト2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e “旭川大・石田新監督、メジャー流で4年ぶりV狙う!”. スポーツ報知. (2011年4月9日)
- ^ “元プロ野球関係者の大学野球部監督に関する特別審査規定”. 日本学生野球協会. 2010年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月3日閲覧。
- ^ “大学野球部に関する特別審査での資格認定者”. 日本学生野球協会. 2010年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月3日閲覧。
- ^ “元ヤクルト・福富氏、四国学院大コーチに就任”. スポーツニッポン (2010年4月29日). 2010年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月3日閲覧。
- ^ 中島洋尚 (2015年3月24日). “旭川大 道勢初プロに挑戦「貪欲に吸収してほしい」”. 日刊スポーツ 2022年8月17日閲覧。
- ^ 中島洋尚 (2023年10月9日). “北星学園大付14年ぶり全道出場決定 190cm石田充冴が完封「目標は佐々木朗希」/北海道”. 日刊スポーツ 2023年10月9日閲覧。
- ^ “巨人ドラ4・石田“巨人の星”になる! 二人三脚 米でプレー経験ある父・威仁さんに感謝”. スポーツニッポン (2024年11月21日). 2024年11月21日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference (Register)