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渋谷通 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渋谷 通
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山形県酒田市
生年月日 (1951-05-14) 1951年5月14日(73歳)
身長
体重
178 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1969年 ドラフト2位
初出場 1972年6月25日
最終出場 1980年8月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

渋谷 通(しぶや とおる、1951年5月14日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

来歴・人物

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平安高校在籍時に、1968年の春の選抜以来、4度にわたり正一塁手として甲子園の土を踏み、1968年の選抜と同年夏の選手権ではともに埼玉代表の大宮工業高校(選抜では、初出場で優勝を果たした)に当たって敗退する。

翌年の選抜では初戦で三重高校に(同校はこの大会で優勝した)に敗れる。同年夏の京滋大会決勝では比叡山高のエース間柴茂有の好投に苦しめられるが、延長11回の末に辛勝、夏の選手権への出場を決めたが、準々決勝で三沢高校(青森、準優勝)に敗れ、甲子園で優勝という夢は果たせずに終わった[1]。通算打率は.360をマークしており高校球界きっての左の強打者だった。高校の1年上に池田信夫石山一秀、同期に川本浩次がいる。8月末からは全日本高校選抜の一員としてブラジル・ペルー・アメリカ遠征に参加する。

1969年のドラフト会議で、広島東洋カープから2位指名を受け入団[1]。カープでは古葉竹識南海ホークスへの移籍で空いた背番号「1」を受け継ぎ[2]、一本足打法と王貞治のコピーさながらであったが、一塁手には高校の先輩である衣笠祥雄がおり、主に外野手として起用された。1973年には外野手として31試合に先発出場を果たす。しかし外野陣も山本浩司水谷実雄ら実力者揃いであり、定位置確保には至らなかった。先発出場の際の打順は2番や6、7番であった。

1974年オフ、大下剛史内野手との交換トレードで、上垣内誠と共に日本ハムファイターズに移籍[1]小田義人の控えではあったが、1977年には一塁手として23試合に実質先発出場(9試合に偵察要員が使われる)。1980年には指名打者としても起用され、打率.295の好成績を残すが、同年限りで引退した[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1972 広島 30 82 70 12 21 6 0 2 33 7 2 1 1 0 11 0 0 14 1 .300 .395 .471 .866
1973 89 163 146 13 34 4 0 3 47 13 3 1 0 0 14 3 3 36 5 .233 .313 .322 .635
1974 51 84 79 8 13 2 0 2 21 6 0 1 1 0 3 0 1 23 4 .165 .205 .266 .471
1975 日本ハム 41 74 66 4 16 1 0 1 20 3 1 1 3 0 4 0 1 16 1 .242 .296 .303 .599
1976 2 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .333 .000 .333
1977 61 123 108 15 25 2 1 3 38 14 0 0 0 0 12 1 3 28 0 .231 .325 .352 .677
1978 5 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
1980 26 50 44 6 13 1 0 3 23 6 0 0 0 0 6 0 0 12 0 .295 .380 .523 .903
通算:8年 305 587 523 58 122 16 1 14 182 49 6 4 5 0 51 4 8 134 11 .233 .311 .348 .659

背番号

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  • 1 (1970年 - 1974年)
  • 8 (1975年)
  • 31 (1976年 - 1980年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、269ページ
  2. ^ 古葉と交換で南海から加入した国貞泰汎は「5」を着用した。

関連項目

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外部リンク

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