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ゲオルギー・ネレップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲオルギー・ミハイロヴィチ・
ネレップ
出生名 Георгий Михайлович Нэлепп
生誕 (1904-04-20) 1904年4月20日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国
チェルニゴフ県ボブルイキ村
死没 (1957-06-18) 1957年6月18日(53歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モスクワ
学歴 レニングラード音楽院
ジャンル クラシック
職業 歌手
共同作業者 キーロフ劇場
ボリショイ劇場

ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ネレップロシア語: Георгий Михайлович Нэлеппラテン文字表記の例:Georgii Mikhailovich Nelepp、1904年4月20日ユリウス暦4月7日) - 1957年6月18日)は、ソビエト連邦ロシアテノール歌手(リリコ・ドラマティック・テノール)。ソ連人民芸術家1951年授与)。スターリン賞受賞者(1942年1949年1950年)。ボリショイ劇場ソリストソビエト連邦共産党党員(1940年入党)。

概要

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チェルニゴフ県ボブルイキ村(現在のウクライナ北部、チェルニーヒウ州コゼレーツィ地区)に生まれる。レニングラード音楽院でイオシフ・トマルス(1867 - 1934)に学び、1930年に卒業する。在学中の1929年よりレニングラード劇場(後のキーロフ劇場、現マリインスキー劇場)のソリストとして活動し、1944年まで在籍する。同年、モスクワボリショイ劇場に移籍し、亡くなる1957年まで同劇場を代表するテノールとして、精力的に舞台・録音活動を展開した。1957年6月18日、心臓発作のためモスクワで没し、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。

大粛清の時代、ネレップは密告によりまわりの多くの人物を陥れたと言われている。ソプラノ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤは、フルシチョフによる「スターリン批判」の後、ネレップの密告により家族全員を粛清でなくした婦人が、ボリショイ劇場のロビーでネレップの顔に唾を吐きかける場面に遭遇したと証言している[1]

主な受賞

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出演映画

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  • 1954年:『ボリス・ゴドゥノフ』(オペラ映画、ネボルシン指揮)

主な録音

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以下はメロディア録音。

オペラ

脚注

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  1. ^ ガリーナ自伝 p.200-206 同書でヴィシネフスカヤはネレップのことを「美しい若さにみちた朗々たる声をそなえた、非の打ちどころのない趣味の芸術家」で、彼の演じた『スペードの女王』のゲルマンを「こんな見事なゲルマンを聴いたことがない」と評し、一緒に演じた『フィデリオ』の上演を自分の最良の思い出の一つと語っている。

外部リンク(兼・参考文献)

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参考文献

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  • MELODIYA A Soviet Russian L.P.Discography ISBN 0-313-22596-6
  • ヴィシネフスカヤ『ガリーナ自伝 ロシア物語』(和田旦 訳) みすず書房 1987年 ISBN 4-622-00252-3全国書誌番号:87039429