ゲオルク・バルタザール・メッツガー

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Georg Balthasar Metzger

ゲオルク・バルタザール・メッツガー(Georg Balthasar Metzger、1623年9月23日 - 1687年10月9日)はドイツの医師である。後にドイツの科学アカデミーレオポルディーナとなる「Academia Naturae Curiosorum」の創立メンバーの一人で、テュービンゲン大学植物園の園長も務めた。

略歴[編集]

シュヴァインフルトで生まれた。医学をアルトドルフ大学で学び、イェナ大学エアフルト大学ヘルムシュテット大学ライプツィヒ大学でも学んだ。ライプツィヒ大学では高名な医師、Johann Michaelisのもとで学んだ。イタリアのパドヴァ大学で1650年まで、外科学や解剖学を学んだ。1646年にイェナ大学で博士号を受け、1650年にバーゼル大学で医学の博士号を受けた。1653年にバウシュ(Johann Laurentius Bausch)らと「Academia Naturae Curiosorum」の4人の創立者の一人となり、同じ年にギーセン大学の医学の教授となった。1661年からテュービンゲン大学に移り、解剖学と植物学を専門とした。ヴュルテンベルク公エーバーハルト3世が 解剖学や外科の教育を改善するためにメッツガーをテュービンゲン大学に招いた。1681年から没するまで、テュービンゲン大学植物園、Hortus Medicusの園長を務めた。弟子にルドルフ・ヤーコプ・カメラリウスがいて、メッツガーの没後、テュービンゲン大学植物園の園長の仕事を継いだ。

参考文献[編集]