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ゲヴォルク・ワルタニャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゲヴォルク・アンドレーエヴィチ・ワルタニャンロシア語: Вартанян, Геворк Андреевичアルメニア語: Գևորգ Անդրեևիչ Վարդանյան1924年2月17日 - 2012年1月10日)は、ソ連の職業的諜報員。退役大佐。コードネームは、アミールАмир)。イランアルメニア人。ソ連邦英雄

人物

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ロストフ・ナ・ドヌに生まれる。父親のアンドレイ・ワルタニャンはイラン国籍で、バター工場長だった。1930年、一家は、GPUの密命を帯びてイランに出国した。アンドレイは商業活動をカバーにして、イラン国内にエージェント網を作り上げた。息子のゲヴォルクも、父親の影響を受けて諜報員となった。

1940年2月、ゲヴォルグは、駐テヘランNKVD支局と接触し、イラン国内のドイツ諜報員の摘発に関するグループを率いた。彼のグループは、2年間だけで約400人のドイツ諜報部関係者を特定した。

1942年、更に複雑な任務がゲヴォルグに付与された。当時、イギリスとソ連は同じ連合国側だったが、ソ連に対する破壊工作を継続していた。イギリスは、テヘランに破壊工作学校を設立し、ロシア語を話す青年を集めて、事後のソ連潜入工作を準備していた。中央の指令により、ゲヴォルグはこの学校に潜入し、学校と生徒に関する詳細な情報を入手した。

後にソ連に潜入したイギリスの工作員達は、無力化されるか、ソ連側に再徴募されることとなった。1943年11月 - 12月のテヘラン会談出席者の安全の保障にも参加した。

1951年、ソ連に帰国し、エレバン大学外国語学部を卒業。その後、1992年までイリーガル・エージェントとして世界各地で活動した。

2012年1月10日モスクワで病死[1]。87歳没。

パーソナル

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妻のゴアル(Гоар)も、イリーガルであり、30年以上夫婦で諜報活動を行った。ゴアルは、赤旗勲章を受章。1986年秋に引退。

脚註

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