ゲーム内部的態度
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ゲーム内部的態度(英: lusory attitude[1])とは、ゲームに参加するプレイヤーが備えていることを要求される心理的態度のこと[2]。ゲーム内部的態度を取る人とは、任意のゲームにおいて、参加者のプレイ経験を促進するために設定された恣意的な諸規則を受け入れる人のことである[3]。
この述語は哲学者のバーナード・スーツが考案したもので、1978年に初版が発行された『キリギリスの哲学――ゲームプレイと理想の人生(The Grasshopper: Games, Life and Utopia)[2]』で紹介されている。同書でスーツは、ゲームをするとは何をすることであるかを定義し、「不必要な障害物を乗り越えるためになされる自主的な試み」としている[3]。より詳細な定義は次の通り。
ゲームをプレイすることは、ある特定の事態[前提的目標(prelusory goal)]を達成するために、定められたルールによって許可された手段[ゲーム内部的手段(lusory means)]のみを用いてなされる試みのことであって、そこでのルールとは非効率な手段[構成的規則(constitutive rules)]の代わりに効率的な手段を用いることを禁じるような規則を指す。そして、ルールが受け入れられるのは、そのルールがゲームを可能にするというただそれだけの理由による[ゲーム内部的態度(lusory attitude)]。[3]
脚注
[編集]- ^ “lusory attitude”の訳語として、他には「ゲーム内在的な態度」(川谷茂樹)、「楽しもうとする心構え」(山本貴光)、「遊戯的態度」(山田貴裕)などがあると山田貴裕(山田(2012), p. 24n)は指摘している。本項目名の「ゲーム内部的態度」は、2015年に出版されたスーツの著書の邦訳で採用されたものである(同書の訳者は川谷・山田)。
- ^ a b Salen, Katie; Zimmerman, Eric (2003), Rules of Play: Game Design Fundamentals, MIT Press, pp. 97-99, ISBN 0-262-24045-9
山本貴光訳『ルールズ・オブ・プレイ――ゲームデザインの基礎(上)(下)』ソフトバンククリエイティブ、2011年(上)、2013年(下) - ^ a b c Suits, Bernard (2005), The Grasshopper: Games, Life and Utopia, Broadview Press, pp. 54-55, ISBN 1-55111-772-X
川谷茂樹、山田貴裕訳『キリギリスの哲学――ゲームプレイと理想の人生』ナカニシヤ出版、2015年
参考文献
[編集]- 川谷茂樹「〈人生〉がゲームであるという可能性について」『北海学園大学学園論集』第151巻、北海学園大学学術研究会、2012年、1-23頁、ISSN 0385-7271。
- 山田貴裕「<特集:ポップ・フィロソフィー>プレイスタイルの裏切り -ゲームとプレイの哲学-」『京都大学文学部哲学研究室紀要』第15巻、京都大学大学院文学研究科哲学研究室、2012年、13-24頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Suits, Bernard fonds - ウォータールー大学にあるバーナード・スーツのアーカイブ