コネチカット党
コネチカット党 | |
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党首 | ローウェル・ワイカー |
創立 | 1990年 |
解散 | 1998年 |
分離元 | 共和党 (アメリカ) |
本部所在地 | グリニッジ (コネチカット州) |
政治的思想 | 社会自由主義 |
政治的立場 | 中道左派 |
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コネチカット党(コネチカットとう)はアメリカ合衆国の政党。共和党所属の上院議員でコネチカット州知事選挙の候補者であったローウェル・ワイカーが1990年に立ち上げた[1]。ワイカーは1990年のコネチカット州知事選挙で勝利し、州知事として1期4年を務めた。英語では「A Connecticut Party」と表記されるが、これは投票用紙が政党名をアルファベット順に記載することを念頭に、最上位に記載されることを意図してあえて最初に"A"という冠詞が付けられている[2]。
概要
[編集]1992年に最初の党集会を開催し、350人の関係者が出席した。 その党集会において、コネチカット党は100人以上のコネチカット州議会議員選候補者を支援した(民主党員約80名、コネチカット党員16名、わずかの共和党員)。
1994年には、ローウェル・ワイカーのもとで副知事を務めていたユーニス・グロークが、コネチカット州知事選に出馬した。しかし、18.9%の得票率により第三位となり、敗北を喫した。 そのほかの州全体や連邦レベルでの選挙では、コネチカット党は民主党員を支援することが多かった。例えば、ジョー・リーバーマン が連邦上院議員に、リチャード・ブルメントールがコネチカット州司法長官に、ジョセフ・M. サッグス・ジュニアがコネチカット州財務長官に、バーバラ・ケネリーがコネチカット州第1選挙区選出の連邦下院議員に当選するよう支援した。また、マイルス・ラポポートのコネチカット州務長官選や、シャーロット・コズコフのコネチカット州第6選挙区における連邦下院議員選を支援した。第2選挙区には、デイビッド・ビンガム候補を党内から送り出した。しかし、得票率が14.90%で3名の候補者のうち最下位となり敗北した。 コネチカット党は、州レベルでの公職者がいないまま、1990年代後半には規模を大幅に縮小していった。そして、1998年には党独自の候補者を送り出すことを中止した[3]。
コネチカット州ウエストハートフォードでは2021年よりコネチカット党を復活させる動きが出てきている。だが、この新党は本記事で扱っている「コネチカット党」とは法的な関連性は存在しない[4]。
脚注
[編集]- ^ Walsh, Julie(英語)『The Encyclopedia of Third Parties in America』M.E. Sharpe、2000年、221-223頁。
- ^ Bibby, John F.; Maisel, L. Sandy (2019-05-20). Two Parties—Or More?. p. 101. doi:10.4324/9780429495595 .
- ^ “A Connecticut Party dissolution”. Hartford Courant: pp. 303. (1998年10月29日) 2020年9月20日閲覧。
- ^ Walsh, Michael (2021年10月25日). “'A Connecticut Party' finds middle ground in West Hartford”. CT Insider 2022年3月29日閲覧。