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コマンド・エドガル・サンチェス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コマンド・エドガル・サンチェス (スペイン語: El Comando Edgar Sánchez) は、1996年12月17日ペルーリマ市で在ペルー日本大使公邸占拠事件を起こした犯行グループの名称。左翼ゲリラ組織トゥパク・アマル革命運動 (MRTA) のメンバー14名で構成されていたが、彼ら全員が1997年4月22日に行われたペルー軍特殊部隊の武力突入(チャビン・デ・ワンタル作戦スペイン語版)によって死亡した。

概要

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日本大使公邸の占拠に参加したのは14名のMRTAメンバーで、男性12名と女性2名から成っていた[1]。彼らのうち30代以上なのは指導部(幹部)であるネストル・セルパ・カルトリニ、ロリ・ロハス・フェルナンデス、エドゥアルド・クルス・サンチェスの3名だけで、残りの被指導部(兵士)の大半は10代だった[1]。指導部メンバーはリマやクスコなどの都市部の出身だが、被指導部メンバーのほとんどはペルー中部のセルバ(熱帯雨林地域)の出身[2]。こういった指導部と被指導部の関係について、東アジア反日武装戦線大道寺将司は「MRTAのゲリラに役割分担の違いがあるだけで階級差がなく、全員が方針決定の討議に参加していたら、あの敗北を招く判断の誤りを犯したでしょうか。仮に参加者全員の意志があのような事態を招いたのであれば、己む〔ママ〕を得なかったと思うことができるのですが」と感想を記している[3]

メンバー

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日本大使公邸占拠に参加したメンバーは次の通り[4][5][注釈 1][注釈 2]。事件後、NN1からNN14まで識別のための符号が付された。うち1名は2015年現在もなお身元が特定されていない。

NN1 - アレハンドロ・ウアマニ・コントレラス
(Alejandro Huamaní Contreras)
NN2 - アドルフォ・トリゴソ・トレス
(Adolfo Trigoso Torres o Adolfo Trigozo Torres)
NN3 - ロリ・ロハス・フェルナンデス
(Roli Rojas Fernández)
ゲリラ名はアラベ (Árabe)。1962年8月24日生。リマ市サン・マルティン・デ・ポレス地区の労働者階級家庭に育ち、バス会社に運賃徴収人として就職した。1980年にサン・マルティン・デ・ポレス大学へ入学したが中退。在学中に学生運動へ参加し、1982年の創設時からMRTAのメンバーとなった。1986年に逮捕されるまでの間、リマ市内で起きた複数の爆弾事件に関与したとされる。1989年に懲役10年の判決を受けたが、1990年にミゲル・カストロ・カストロ刑務所から脱走。日本大使公邸占拠事件の際には犯行グループの中でセルパに次ぐ存在と目されていた[7]
NN4 - エドガル・ウアマニ・カブレラ
(Edgar Huamaní Cabrera)
NN5 - ビクトル・ルベル・ルイス・カセレス・タボアダ
(Víctor Luber Luis Cáceres Taboada)
NN6 - ネストル・フォルトゥナト・セルパ・カルトリニ
(Néstor Fortunato Cerpa Cartolini)
ゲリラ名はエバリスト (Evaristo)。1953年8月14日生。リマ市ラ・ビクトリア地区の中産階級家庭に育ち、高校卒業後は繊維大手のクロモテックス社に就職した。1978年12月、同社の労働組合書記だったセルパは工場の占拠に参加したが、1979年2月4日に警察が突入し労組指導者のエミヒディオ・ウエルタ (Hemigidio Huerta) を含む労働者6名と警官1名が死亡した(日本大使公邸占拠事件では、セルパは当初ウエルタを名乗っていた)。これ以降武装闘争に転じたセルパは、1980年代から1990年代にかけてMRTAが起こした多くの事件に関与したとされる。1990年代に幹部が相次いで拘束されMRTAが著しく弱体化する中で、セルパは軍事部門の幹部として武装闘争を推し進めた。妻のナンシー・ヒルボニオ・コンデ (Nancy Gilvonio Conde) もMRTA戦士で、日本大使公邸占拠事件当時はヤナマヨ刑務所に収監されており、2人の息子はセルパの母とともにフランスにいた[8][9]
NN7 - イバン・メサ・エスピリトゥ
(Iván Meza Espíritu)
ゲリラ名はピティン (Pitin) または ベベ (Bebe)。
NN8 - アルテミオ・シンガリ・ロスケ または アルテミオ・シンガリ・キンチョクレ
(Artemio Shingari Rosque o Artemio Shingari Quinchocre)
ゲリラ名はアレックス (Alex) または コネ (Coné)。
NN9 - ビクトル・サロモン・ペセロス・ペドラサ
(Víctor Salomón Peceros Pedraza)
NN10 - エルマ・ルス・メレンデス・クエバ
(Herma Luz Meléndez Cueva)
ゲリラ名はシンシア (Cynthia) または メリサ (Melissa)。
NN11 - ボスコ・オノラト・サラス・ウアマン
(Bosco Honorato Salas Huamán)
NN12 - ルス・ディナ・ビジョスラダ・ロドリゲス
(Luz Dina Villoslada Rodríguez)
ゲリラ名はシンシア (Cynthia) または グリンガ (Gringa)。
NN13 - 身元不明
(No identificado)
NN14 - エドゥアルド・ニコラス・クルス・サンチェス
(Eduardo Nicolás Cruz Sánchez)
ゲリラ名はティト (Tito)。

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ Montes de Ocaはメンバーとして以下の者を挙げる[1]
    • エバリスト (Evaristo) - ネストル・セルパ・カルトリニ (Néstor Cerpa Cartolini)
    • アラベ (Árabe) - ロランド・ロハス (Rolando Rojas)
    • ティト (Tito) - エドゥアルド・クルス・サンチェス (Eduardo Cruz Sánchez)
    • ダビド (David) - アレハンドロ・アリアス・コントレラス (Alejandro Arias Contreras)
    • メリサ (Melissa) - エルマ・ルス・クエバ (Erma Luz Cueva)
    • ルカス (Lucas)
    • グリンガ (Gringa) - ルス・ディナ・ビジョスラダ・ロドリゲス (Luz Dina Villoslada Rodríguez)
    • チェベト (Cheveto)
    • ワスカル (Huáscar)
    • アデルリン (Aderlin)
    • メルリン (Merlín)
    • ハグアル (Jaguar)
    • ラウル (Raúl)
    • パレスティノ (Palestino)
  2. ^ 太田昌国山崎カヲルの情報に基づき、メンバーとして以下の者を挙げる[6]
    • エドウィン - アルテミオ・シルガリ
    • ティト - エドゥアルド・クルス・サンチェス
    • アルトゥロ - ヒルベルト・ドロテオ・ティコナ
    • サイダ - ヒオバンナ・ビラ・プラセンシア
    • カジェル - ハイメ・カストロ・エスコバル
    • アラベ - ロリ・ロハス・フェルナンデス
    • マリェニ - マリア・オヨス・テラサ
    • エバリスト司令官 - ネストル・セルパ・カルトリーニ
    • ジェニー - ルス・ディナ・ビジョスラバ・ロドリゲス
    • ジョエル
    • サルバドル
    • 身元不明者3名

出典

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  1. ^ a b c Montes de Oca, Rodolfo (2013), Los muchachos del Comando Edgar Sanchez, CURARE, https://issuu.com/curarevzla/docs/los_muchachos_del_comando_edgar_s_c 2019年8月14日閲覧。 
  2. ^ 真鍋周三ペルー・中央セルバの無秩序・貧困問題の歴史的考察 : ペルー日本大使館公邸占拠の本質的問題の究明にむけて(その2)」『人文論集』第45巻、兵庫県立大学神戸学園都市キャンパス学術研究会、1-24頁、2010年http://id.nii.ac.jp/1214/00001099/2019年8月14日閲覧 
  3. ^ 大道寺将司支援連ニュースNo.218』東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議、2000年http://kiyoumohannich.web.fc2.com/kitacobu/no218.html2019年8月14日閲覧 
  4. ^ El rescate de los héroes. El caso “Chavín de Huántar” (1st ed.), Ministerio de Justicia y Derechos Humanos, (2015), https://www.minjus.gob.pe/wp-content/uploads/2016/02/heroes.pdf 2019年8月14日閲覧。 
  5. ^ Texto del escrito de solicitudes, argumentos y pruebas (ESAP) de los representantes de las presuntas víctimas (APRODEH y CEJIL), de fecha 24 de abril del 2012 (142 páginas más 27 anexos)., Corte Interamericana de Derechos Humanos, (2012), https://www.minjus.gob.pe/caso-cruz-sanchez-vs-peru/ 2019年8月14日閲覧。 
  6. ^ 太田昌国『「ペルー人質事件」解読のための21章』現代企画室、1997年、251-252頁。ISBN 4-7738-9713-9 
  7. ^ Profile of MRTA Negotiator Roli Rojas Fernandez, National Security Archive, (1997), https://lum.cultura.pe/cdi/documento/profile-mrta-negotiator-roli-rojas-fernandez-perfil-del-mrta-negociador-roli-rojas 2019年8月14日閲覧。 
  8. ^ Nestor Cerpa Cartolini - MRTA Leader and Hostage Taker, National Security Archive, (1997), https://lum.cultura.pe/cdi/documento/nestor-cerpa-cartolini-mrta-leader-and-hostage-taker-nestor-cerpa-cartolini-%E2%80%93-l%C3%ADder-del 2019年8月14日閲覧。 
  9. ^ Goering, Laurie (1997年2月5日). “REBEL'S PAST MAY OFFER CLUE TO PRESENT”. Chicago Tribune. https://www.chicagotribune.com/1997/02/05/rebels-past-may-offer-clue-to-present/ 2019年8月14日閲覧。