コリニー
Coligny | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | アン県 |
郡 (arrondissement) | ブール=カン=ブレス郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 01108 |
郵便番号 | 01270 |
市長(任期) |
ジャン・ベルナダック (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | Communauté de communes du Pays de Gex |
人口動態 | |
人口 |
1 150人 (2008年[1]) |
人口密度 | 68人/km2 |
住民の呼称 | Colignois[2] |
地理 | |
座標 | 北緯46度22分59秒 東経5度20分46秒 / 北緯46.3830555556度 東経5.34611111111度座標: 北緯46度22分59秒 東経5度20分46秒 / 北緯46.3830555556度 東経5.34611111111度 |
標高 |
平均:m 最低:199 m 最高:575m |
面積 | 16.87km2 (1 687ha) |
公式サイト | Site officiel de la ville de Coligny |
コリニー (Coligny)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、アン県のコミューン。
地理
[編集]コリニーはブール=カン=ブレスの北約20マイル、ロン=ル=ソーニエの南およそ40kmの地点にあり、ジュラ県に近い。コミューンを高速道83号線が通る。コミューン東部はルヴェルモン地方の丘陵地帯であり、西はブレサーヌ地方の広い平野である。コミューンの西の端をソルナン川が流れる。
歴史
[編集]コリニーの名は、Colonia(またはCologna)という名称がフランス語化して進化したものである。ラテン語や紋章では、CologniacumやColoniacumと記される。フランス語文献ではColloignie、Colognie、Colligny、Coligniと記されている。
コリニーはコリニーの暦(fr)で有名である。2世紀後半にさかのぼるこの暦は、現存するガリア語の碑文の中で最も長いものとなる。暦はガリア語、ガリアの天文学の知識、ガリア人の時の管理の仕方を理解するのに大いに貢献した。これはラテン語のアルファベットで書かれている。暦とともに、コリニーでつくられたもうひとつの興味深い発見が、デュー・ド・コリニー(Dieu de Coligny、コリニーの神)と呼ばれるブロンズ像である。暦とブロンズ像のレプリカがコリニー役場に展示されている。
9世紀、マナッセス1世がコリニー最初の領主となった。彼の子孫がコリニー領主となり、フランス貴族コリニー家となった。
12世紀にコリニー領は分割された。1550年、ガスパール・ド・コリニーはコリニー=ル=ヴィエイユとコリニー=ル=ヌフの2領を統合した。コリニーはサヴォイア公の領土となった後、コリニー=ル=ヌフは1601年の条約によって正式にフランス領となった。コリニー=ル=ヴィエイユはブルゴーニュ公でもあったスペイン王が所有し、最終的にルイ14世時代にフランスに併合された。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
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1 083 | 1 111 | 1 077 | 1 132 | 1 117 | 1 091 | 1 140 |
sources=Insee[3] · [4] et Cassini[5]