コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コルテノール (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コルテノール
基本情報
運用者 オランダ海軍
艦種 駆逐艦
級名 ファン・ゲント級駆逐艦(アドミラーレン級駆逐艦)
艦歴
起工 1925年8月24日[要出典]
進水 1927年6月30日
就役 1928年9月3日
最期 1942年2月27日戦没
要目
基準排水量 1316トン
満載排水量 1640トン
全長 98m
9.53m
吃水 2.97m
機関 ヤーロウ式ボイラー3基 2軸推進
出力 31000hp
最大速力 36ノット
航続距離 3200海里
乗員 149名
兵装 ボフォース 1924年型 12cm(45口径)単装速射砲4基
ボフォース 7.6cm単装高角砲2基
ブローニング(50口径)単装機銃4基
53.3cm三連装魚雷発射管2基
機雷24個
フォッカーC.VII-W 水上機1機
テンプレートを表示

コルテノール (Hr.Ms. Kortenaer) はオランダ海軍駆逐艦。アドミラーレン級(ファン・ゲント級)。名前は17世紀のオランダ人提督エグベルト・バルトロメウス・コルテノールにちなんでいる。

艦歴

[編集]

「コルテノール」は1925年8月24日に建造が開始され、1927年6月30日に進水し、1928年9月3日に就役した[1]

「コルテノール」は1928年11月23日に西インド諸島に着き、オランダ領各地を訪れ、1929年3月8日に本国に戻った[1]

1929年6月8日にキュラソーでベネズエラのラファエル・シモン・ウルビナ英語版により総督Leonard Albert Fruytierがとらえられる事件が発生すると、「コルテノール」と海防戦艦「ヘルトフ・ヘンドリク」の派遣が命じられた[1]。「コルテノール」は24時間以内に出発の準備を終え、現地の状況が不明であったため、まずバージン諸島のセント・トーマス島へ向かった[1]。6月21日に「コルテノール」はウィレムスタットに到着したが、その時院はすでに事態は終息していた[2]。「コルテノール」は7月29日にデン・ヘルダーに戻った[2]

1930年1月14日、オランダ領東インドへ向け出発[2]。2月27日にサバンに着いた[2]。「コルテノール」は1935年2月28日に本国に戻った[3]

1935年11月4日、「コルテノール」は駆逐艦「ファン・ゲント」とともにデン・ヘルダーより東インド諸島へ向け出発した[4]。その途中、11月20日に「コルテノール」はエジプトの漁船と衝突した[5]。2隻は12月17日にサバンに着いた[4]

第二次世界大戦

[編集]

1942年2月、日本軍のバリ島上陸を受けてチラチャップより出撃する際に「コルテノール」は座礁し、その結果バリ島沖海戦には不参加となった[6]

スラバヤ沖海戦

[編集]

2月27日、スラバヤ沖海戦で「コルテノール」は被雷し、沈没した[7]。57名が死亡した[8]。「コルテノール」に命中したのは日本の重巡洋艦「羽黒」が発射した魚雷と推定される[9]

沈没船

[編集]

インドネシア、シンガポール、マレーシア近海では100隻を超える様々な国の船や潜水艦が戦時中に沈没し、その多くは戦没者墓地に指定されている。沈没船は違法にあさられ、しばしば爆発物が使用されたことで知られている。コルテノールの残骸は、2004年8月に沈没船専門ダイバーに発見された。デ・ロイテルとジャワの残骸は2002年12月に同じグループに発見されていた。2016年、デ・ロイテル、ジャワ、コルテノールの沈没船の大部分は海底から消失していたが、その痕跡は海底に残っていた。オランダ国防省はデ・ロイテル、ジャワ、コルテノールは違法に引き上げられた可能性があることを示唆した。[10]2017年2月、3隻の沈没船の位置と状態を確認する報告書が発表された。[11][12]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 41
  2. ^ a b c d Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 43
  3. ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 45
  4. ^ a b Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 47
  5. ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 46
  6. ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 51
  7. ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 54
  8. ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 55
  9. ^ 『蘭印ベンガル湾方面海軍進攻作戦』478ページ
  10. ^ Holmes, Oliver (16 November 2016). “Mystery as wrecks of three Dutch WWII ships vanish from Java seabed”. The Guardian. AFP. https://www.theguardian.com/world/2016/nov/16/three-dutch-second-world-war-shipwrecks-vanish-java-sea-indonesia 16 November 2016閲覧。 
  11. ^ 2 Joint Verification of the location and condition of Hr.Ms. De Ruyter, Java and Kortenaer”. 2017年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月26日閲覧。
  12. ^ Java Sea Shipwrecks of World War 2: One of the men who found them reflects on their loss”. History of War. Future Publishing Limited. 2024年2月26日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『蘭印ベンガル湾方面海軍進攻作戦』戦史叢書26、朝雲新聞社、1969年
  • Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, Lanasta, 2018, ISBN 978-90-8616-198-0