コルテノール (駆逐艦)
コルテノール | |
---|---|
基本情報 | |
運用者 | オランダ海軍 |
艦種 | 駆逐艦 |
級名 | ファン・ゲント級駆逐艦(アドミラーレン級駆逐艦) |
艦歴 | |
起工 | 1925年8月24日[要出典] |
進水 | 1927年6月30日 |
就役 | 1928年9月3日 |
最期 | 1942年2月27日戦没 |
要目 | |
基準排水量 | 1316トン |
満載排水量 | 1640トン |
全長 | 98m |
幅 | 9.53m |
吃水 | 2.97m |
機関 | ヤーロウ式ボイラー3基 2軸推進 |
出力 | 31000hp |
最大速力 | 36ノット |
航続距離 | 3200海里 |
乗員 | 149名 |
兵装 |
ボフォース 1924年型 12cm(45口径)単装速射砲4基 ボフォース 7.6cm単装高角砲2基 ブローニング(50口径)単装機銃4基 53.3cm三連装魚雷発射管2基 機雷24個 フォッカーC.VII-W 水上機1機 |
コルテノール (Hr.Ms. Kortenaer) はオランダ海軍の駆逐艦。アドミラーレン級(ファン・ゲント級)。名前は17世紀のオランダ人提督エグベルト・バルトロメウス・コルテノールにちなんでいる。
艦歴
[編集]「コルテノール」は1925年8月24日に建造が開始され、1927年6月30日に進水し、1928年9月3日に就役した[1]。
「コルテノール」は1928年11月23日に西インド諸島に着き、オランダ領各地を訪れ、1929年3月8日に本国に戻った[1]。
1929年6月8日にキュラソーでベネズエラのラファエル・シモン・ウルビナにより総督Leonard Albert Fruytierがとらえられる事件が発生すると、「コルテノール」と海防戦艦「ヘルトフ・ヘンドリク」の派遣が命じられた[1]。「コルテノール」は24時間以内に出発の準備を終え、現地の状況が不明であったため、まずバージン諸島のセント・トーマス島へ向かった[1]。6月21日に「コルテノール」はウィレムスタットに到着したが、その時院はすでに事態は終息していた[2]。「コルテノール」は7月29日にデン・ヘルダーに戻った[2]。
1930年1月14日、オランダ領東インドへ向け出発[2]。2月27日にサバンに着いた[2]。「コルテノール」は1935年2月28日に本国に戻った[3]。
1935年11月4日、「コルテノール」は駆逐艦「ファン・ゲント」とともにデン・ヘルダーより東インド諸島へ向け出発した[4]。その途中、11月20日に「コルテノール」はエジプトの漁船と衝突した[5]。2隻は12月17日にサバンに着いた[4]。
第二次世界大戦
[編集]1942年2月、日本軍のバリ島上陸を受けてチラチャップより出撃する際に「コルテノール」は座礁し、その結果バリ島沖海戦には不参加となった[6]。
スラバヤ沖海戦
[編集]2月27日、スラバヤ沖海戦で「コルテノール」は被雷し、沈没した[7]。57名が死亡した[8]。「コルテノール」に命中したのは日本の重巡洋艦「羽黒」が発射した魚雷と推定される[9]。
沈没船
[編集]インドネシア、シンガポール、マレーシア近海では100隻を超える様々な国の船や潜水艦が戦時中に沈没し、その多くは戦没者墓地に指定されている。沈没船は違法にあさられ、しばしば爆発物が使用されたことで知られている。コルテノールの残骸は、2004年8月に沈没船専門ダイバーに発見された。デ・ロイテルとジャワの残骸は2002年12月に同じグループに発見されていた。2016年、デ・ロイテル、ジャワ、コルテノールの沈没船の大部分は海底から消失していたが、その痕跡は海底に残っていた。オランダ国防省はデ・ロイテル、ジャワ、コルテノールは違法に引き上げられた可能性があることを示唆した。[10]2017年2月、3隻の沈没船の位置と状態を確認する報告書が発表された。[11][12]
脚注
[編集]- ^ a b c d Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 41
- ^ a b c d Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 43
- ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 45
- ^ a b Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 47
- ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 46
- ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 51
- ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 54
- ^ Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, p. 55
- ^ 『蘭印ベンガル湾方面海軍進攻作戦』478ページ
- ^ Holmes, Oliver (16 November 2016). “Mystery as wrecks of three Dutch WWII ships vanish from Java seabed”. The Guardian. AFP 16 November 2016閲覧。
- ^ “2 Joint Verification of the location and condition of Hr.Ms. De Ruyter, Java and Kortenaer”. 2017年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月26日閲覧。
- ^ “Java Sea Shipwrecks of World War 2: One of the men who found them reflects on their loss”. History of War. Future Publishing Limited. 2024年2月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 防衛庁防衛研修所戦史室『蘭印ベンガル湾方面海軍進攻作戦』戦史叢書26、朝雲新聞社、1969年
- Rindert van Zinderen-Bakker, Destroyer HNLMS Kortenaer, Lanasta, 2018, ISBN 978-90-8616-198-0