コロンバス・ソロンズ
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コロンバス・ソロンズ(Columbus Solons)は、1889年から1891年にかけて、オハイオ州コロンバスを本拠地としてアメリカン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。
球団史
[編集]1889年のアメリカン・アソシエーションの参加球団拡張にあわせて設立された。1年目はブルックリンから移籍したデーブ・オルが攻撃の要となったが投手陣が安定せず、シカゴから移籍したマーク・ボールドウィンがリーグ最多の63試合に登板してリーグ最多奪三振を記録する一方、敗戦、暴投、与四球、自責点などいずれの部門でもリーグ最多を記録した。
2年目の1890年、チームはプレイヤーズ・リーグ創設の混乱の中で勝ち星を伸ばす。前年活躍したデーブ・オルはプレイヤーズ・リーグに移ってしまったが、攻撃陣ではこの年デビューしたスパッド・ジョンソンがリーグ最多の113打点、ジム・マクタマニーが140得点を挙げる活躍をし、投手ではハンク・ガストライトが30勝を記録するなど、チームはリーグ2位まで躍進した。
しかし翌1891年、プレイヤーズ・リーグの選手達が戻ってくるとチームの勝ち星は伸び悩み、運営も苦しくなったためか同年7月以降選手を次々と放出するようになっていった。結局この年は6位に終わり、シーズン終了後にリーグ解体にあわせて球団も解散した。
戦績
[編集]年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1889年 | AA | 140 | 60 | 78 | .435 | 6位 | アル・バッケンバーガー | Recreation Park II |
1890年 | 140 | 79 | 55 | .590 | 2位 | アル・バッケンバーガー パット・サリバン ガス・シュメルツ | ||
1891年 | 138 | 61 | 76 | .445 | 6位 | ガス・シュメルツ |
所属した主な選手
[編集]- ハンク・ガストライト:通算72勝63敗。1890年に30勝14敗の成績を挙げた。
- マーク・ボールドウィン:投手。1889年にリーグ最多奪三振。
- ジム・マクタマニー:外野手。1890年にリーグ最多得点を記録。
- スパッド・ジョンソン:外野手。1890年に打率.346、リーグ最多の113打点を挙げた。
- デーブ・オル:一塁手。1889年に打率.327を記録した。
主な球団記録
[編集]- 打撃記録
- 通算安打数:342(ジム・マクタマニー)
- 通算本塁打:10(チャーリー・ダフィー)
- 通算打点数:192(スパッド・ジョンソン)
- 通算得点数:312(ジム・マクタマニー)
- 通算盗塁数:117(ジャック・クルックス)
- 投手記録
- 通算勝利数:52(ハンク・ガストライト)
- 通算奪三振:423(ハンク・ガストライト)