コンカラー級戦列艦
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コンカラー級戦列艦 | |
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バハマ諸島のラム・ケイで座礁したコンカラー | |
基本情報 | |
種別 | 戦列艦 |
運用者 | イギリス海軍 |
就役期間 | 1855年 - 1925年 |
建造数 | 2隻 (うち1隻喪失) |
要目 | |
トン数 | 3224英トン |
長さ | 240 ft (73.2 m) |
幅 | 55 ft 4 in (16.9 m) |
深さ | 24 ft 5 in (7.44 m) |
推進器 |
帆走 (シップ) 2気筒(直径82インチ、ストローク4フィート)水平シングル膨張エンジン 1軸スクリュー 800 nhp 2,812 ihp |
速力 | 10.806ノット(蒸気推進時) |
乗員 | 930人 |
兵装 |
101門
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コンカラー級戦列艦(Conqueror-class ships of the line)は、イギリス海軍のスクリュー推進101門1等戦列艦。
設計
[編集]コンカラー級戦列艦は、1852年に2層・101門の1等戦列艦として設計されたが、当時は建造中の帆走戦列艦の多くがスクリュー推進を併用するように改造された時期であった[1]。コンカラー級の2隻も、コンカラー(HMS Conqueror)及びドネガル(HMS Donegal)もスクリュー推進として完成した[1]。
艦歴
[編集]両艦ともに海峡艦隊に配属され、後にはクリミア戦争に参加している。また1861年のフランスのメキシコ出兵の際には、兵士の輸送に協力した。その途中、コンカラーはバハマ諸島のラム・ケイ(Rum Cay)で難破した。機械類や搭載砲の多くは引き揚げられた。1860年代に入って、ウォーリアのような装甲艦が就役し始めると、それまでの戦列艦は時代遅れとなった。ドネガルは監視艦として現役を続け、その際南北戦争の最後の投降兵を保護している[2]。1886年に廃艦となり、ヴァーノン(Vernon)と改名され魚雷学校の一部として使われた[3]。1923年には施設が陸上に移り、1925年にドネガルは解体された[3]。
同型艦
[編集]- コンカラー(HMS Conqueror)
- 造船所:デヴォンポート海軍工廠
- 発注:1852年11月16日
- 起工:1853年7月25日
- 進水:1855年5月2日
- 竣工:1856年4月9日
- その後:1861年12月13日、ラム・ケイで座礁[1]
- ドネガル(HMS Donegal)
- 造船所:デヴォンポート海軍工廠
- 発注:1854年12月27日
- 起工:1855年9月27日
- 進水:1858年9月22日
- 竣工:1859年8月27日
- その後:1886年1月14日、ヴァーモンと改名。1925年5月18日、解体のため売却[1]
脚注
[編集]参考資料
[編集]- Colledge, J. J.; Warlow, Ben (2006) [1969]. Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy (Rev. ed.). London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-281-8. OCLC 67375475。
- Lyon, David and Winfield, Rif, The Sail and Steam Navy List, All the Ships of the Royal Navy 1815-1889, pub Chatham, 2004, ISBN 1-86176-032-9
- Loney, William. “mid-Victorian RN vessels - Donegal”. 17 March 2012閲覧。