コンスライアー・GTP

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コンスライアー・GTP
コンスライアー GTP-LX プロトタイプ
概要
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ボディ
ボディタイプ 2ドアクーペ/2ドアタルガトップ
車両寸法
ホイールベース 2,540mm
全長 4,369mm
全幅 1,829mm
全高 1,130mm
車両重量 998kg(2,200lb)
系譜
後継 モスラー・MT900
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コンスライアー・GTP米国の自動車メーカーであったコンスライアー・インダストリーによって製造されたスポーツカーである[1][2]

歴史[編集]

[[File:]] 1985年にウォーレン・モスラー氏によって考案されたGTPは、車両重量998kg(2,200ポンド)のミッドエンジンスポーツカーで、最初のシリーズは約70台が販売された。エンジンは、最高出力175hp (135kW)を発揮するクライスラー製2.2L 4ターボ IIエンジンを搭載していた。 2番目のシリーズは同じエンジンを改良したTurbo IIIバージョンを搭載し、最高出力190hp (141kW)、最高速度は249km/h (155mph)を発揮する。ほとんどの機械部品もクライスラー製のものを搭載していた。シャーシは珍しいグラスファイバーとフォーム製で、ボディに金属を使用せずにカーボンファイバーケブラーでボディを作った最初の車両となった。ハイグレードモデルにあたるGTP LXにはレカロシートサンルーフエアコンクルーズコントロールシステム、パワーロック等の装備が追加されている。オプションでセキュリティシステムや電話(車内に装備)などが用意されていた。

GTPは6年間、IMSA GT選手権で出場し、優勝した。優れたパワーウェイトレシオによる性能に自身を持ったウォーレン・モスラー氏は、米国で正規に販売されている車でGTPにレースを挑み、挑戦者側が勝利すればモスラー氏が2万5000米ドルを支払うという企画を実施した。米国の自動車雑誌であるCar and Driverの編集部がC4コルベットでレースに挑み勝利したが、モスラー氏にコースと車(グッドコンディションのGTP)、ドライバーを選ぶ権利がなかったとして、結果的に賞金の2万5000ドルは支払われなかった。

1993年、コンスライアー・インダストリーは自動車部門をモスラー オートモティブとして分離し、GTPはイントルーダーという名称に変更された。

出典[編集]

  1. ^ Lazzarino, Chris (1990年12月9日). “One for the Road: Warren Mosler Had a Better Idea -- So He Built the Consulier GTP and Put His Money Where His Mouth Is”. Sun-Sentinel. https://www.sun-sentinel.com/news/fl-xpm-1990-12-09-9003010797-story.html 2020年1月29日閲覧。 
  2. ^ Grossinger, Martin (2011年6月16日). “The ten most awesome banned race cars”. Jalopnik. Gizmodo Media Group. 2019年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月10日閲覧。

参照[編集]

  • コンスライアー GTPとは [1]
  • モスラー オートモティブ [2]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]