コートランド・S・グロス
表示
コートランド・シェリントン・ "コート"・グロス(Courtlandt Sherrington Cort Gross、1904年11月21日 – 1982年7月15日)は、アメリカ合衆国の初期の飛行士で、35年間にわたっロッキードの有力な役員であった。1967年に、会長職を辞して引退した。
経歴
[編集]グロスは、マサチューセッツ州ボストンに生まれ、ハーバード大学に学んだ。彼は兄であるロバート・E・グロスとともに、1932年にロッキードを買収し、同社を航空宇宙関連事業のコングロマリットへと成長させた。会長職にあった1966年には、2月11日付の『タイム』誌の表紙を飾った[1]。
引退後は、フィラデルフィア郊外のメイン・ラインの屋敷で生活していた。
1982年7月15日、ペンシルベニア州ビラノバの自宅にいたグロスは、妻アレクサンドラ・ヴァン・レンセレール・デヴロー・グロス (Alexandra Van Rensselaer Devereux Gross)、家政婦のキャサリン・オハラ・ヴァンダーヴューア (Catherine O'Hara VanderVeur) とともに、銃撃により殺害された[2][3][4]。放浪者のロジャー・P・ブール (Roger P. Buehl) が殺人の罪に問われ、有罪となった[5]。
グロスの亡骸は、ペンシルベニア州ホワイトマーシュの聖トマス教会の墓地に埋葬された[6]
脚注
[編集]- ^ “Courtlandt S. Gross | Feb. 11, 1966”. TIME USA, LLC.. 2020年2月8日閲覧。
- ^ Robbins, William (July 17, 1982). 3 Killed in Mansion on Philadelphia's Main Line. The New York Times
- ^ Flint, Peter B. (July 17, 1982). Courtlandt S. Gross and His Wife Dominant in Main Line's Society. The New York Times
- ^ United Press international (September 19, 1982). Trial Ordered in Gross Case. The New York Times
- ^ Robbins, William (January 19, 1983). Jury returns guilty verdict in Main Line triple murder. The New York Times
- ^ “Courtlandt Sherrington Gross”. www.findagrave.com. 2019年4月21日閲覧。