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ゴーフォージン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴーフォージン
欧字表記 Go for Gin
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1991年4月18日[1][2]
死没 2022年3月8日[1][3]
Cormorant
Never Knock
母の父 Stage Door Johnny
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Pamela duPont Darmstadt[1][2]
馬主 William J. Condren & Joseph M. Cornacchia[1][2]
調教師 Nicholas P. Zito[1]
競走成績
生涯成績 19戦5勝[1][2]
獲得賞金 1,380,866ドル[1][2]
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ゴーフォージンGo for Gin1991年4月18日 - 2022年3月8日)は、アメリカ合衆国競走馬種牡馬。1994年のケンタッキーダービーに優勝した。

経歴

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  • 特記がない限り、競走はすべてダートコース

出生、2歳時

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生産者パメラ・デュポン・ダルムシュタットがケンタッキー州のピラー牧場で生産した牡馬である。ゴーフォージンは1992年のファシグ・ティプトンオーガストセールに上場され、そこでウィリアム・J・コンドレンとジョセフ・M・コーンナチアの2名によって15万ドルで落札された[1]

ニック・ジトー調教師のもとに預けられたゴーフォージンは、2歳になった1993年9月13日のベルモントパーク競馬場で行われた未勝利戦(6ハロン)でデビュー、初戦は5着であった[2]。その後3戦目に迎えたアケダクト競馬場での未勝利戦(8ハロン)で10馬身半差をつけて初勝利を挙げた[2]。この年はその後、チーフズクラウンステークス(L・アケダクト・8ハロン)とレムゼンステークス(G2・アケダクト・9ハロン)で連勝を挙げた。特にレムゼンステークスでは8馬身半差の勝利を挙げている[4]

3歳以降

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3歳シーズンはガルフストリームパーク競馬場のプレビューステークス(L・8.5ハロン)から始動、これに勝って4連勝とした。しかしその後はファウンテンオブユースステークス(G2・ガルフストリームパーク・8.5ハロン)でデヒア相手の3/4馬身差2着、フロリダダービー(G1・ガルフストリームパーク・9ハロン)ではホーリーブルから6馬身以上離された4着、ウッドメモリアルステークス(G1・アケダクト・9ハロン)ではイルグン相手に1馬身半差の2着と取りこぼし続けた[2]

1994年5月7日のケンタッキーダービー(G1・チャーチルダウンズ・10ハロン)は雨と不良馬場のなか行われた。当日の1番人気はホーリーブルで、そこにブロッコタバスコキャットらが人気で続いており、ゴーフォージンは単勝オッズ10倍に支持されていた。ホーリーブルやブロッコがスタートで失敗するなか、ゴーフォージンはいいスタートを切って先頭に躍り出た。そのままリードを作って先頭を維持したゴーフォージンは、残り半ハロンで失速するも踏ん張り、そのまま2着ストロデスクリークに2馬身差をつけて優勝を果たした[4][5]

しかし、この勝利がゴーフォージンにとって最後の勝利になった。続くプリークネスステークス(G1・ピムリコ・9.5ハロン)とベルモントステークス(G1・ベルモントパーク・12ハロン)ではともにタバスコキャットの2着に敗れた。その後も敗北が続き、1995年5月6日のチャーチルダウンズハンデキャップ(G3・チャーチルダウンズ・7ハロン)で3着になったのちに、調教中に右前肢の腱鞘を損傷、これがもとで引退に至った[6]

種牡馬入り後

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競走馬引退後、ゴーフォージンは1996年から同馬の権利の20%を保有していたクレイボーンファームで種牡馬入りした[1]。2004年にウィリアム・ボニファスがゴーフォージンの権利を購入し、同氏の持つメリーランド州ダーリントンにあるボニータ牧場に移された。2011年までそこで種牡馬をしていた後、ケンタッキーホースパークに移されてそこで余生を過ごした。2019年にシーヒーローが死亡すると、ゴーフォージンがケンタッキーダービー馬として最年長となっている[7]。2022年3月8日、ゴーフォージンは心不全により死亡、31歳であった[8]。遺骸はケンタッキーホースパークの「メモリアルウォーク・オブ・チャンピオンズ」に埋葬されている[1]

ゴーフォージンの種牡馬成績は芳しくなく、アメリカジョッキークラブの調べによれば、産駒413頭のうち218頭が勝ち上がり、うち12頭がステークス勝ち馬になったとある[1]。その中での代表産駒にジョッキークラブゴールドカップ(G1)に優勝したアルバートザグレートがいる。

血統表

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ゴーフォージン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リボー系
[§ 2]

Cormorant
アメリカ 鹿毛 1974
父の父
His Majesty
アメリカ 鹿毛 1968
Ribot Tenerani
Romanella
Flower Bowl Alibhai
Flower Bed
父の母
Song Sparrow
アメリカ 鹿毛 1967
Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Swoon's Tune Swoon's Son
Recess

Never Knock
アメリカ 黒鹿毛 1979
Stage Door Johnny
アメリカ 栗毛 1965
Prince John Princequillo
Not Afraid
Peroxide Blonde Ballymoss
Folie Douce
母の母
Never Hula
アメリカ 黒鹿毛 1969
Never Bend Nasrullah
Lalun
Hula Hula Polynesian
Black Helen
母系(F-No.) ラトロワンヌ牝系(FN:1-s(1-x)) [§ 3]
5代内の近親交配 Hyperion 5x5, Count Fleet 5x5 [§ 4]
出典
  1. ^ [9], [10]
  2. ^ [10]
  3. ^ [9], [10]
  4. ^ [9], [10]


脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k Avalyn Hunter. “Go for Gin (horse)”. American Classic Pedigrees. 2022年5月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Go for Gin (KY)”. EQUIBASE. 2022年5月29日閲覧。
  3. ^ Derby Winner Lil E. Tee Euthanized”. Blood-horse (2009年3月23日). 2021年8月19日閲覧。
  4. ^ a b William Nack (1994年5月16日). “Mud In Your Eye”. Sports Illustrated. 2022年5月28日閲覧。
  5. ^ 1994”. kentuckyderby.com. 2022年5月28日閲覧。
  6. ^ Injury Retires Go for Gin at 4”. The New York Times (1995年5月17日). 2022年5月29日閲覧。
  7. ^ Kentucky Derby Winner Sea Hero Dies In Turkey At Age 29” (英語). Paulick Report (2019年7月12日). 2019年7月12日閲覧。
  8. ^ BloodHorse Staff (2022年3月9日). “1994 Kentucky Derby Winner Go for Gin Dies at 31”. Blood-Horse. 2022年5月29日閲覧。
  9. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Go for Gin(USA)”. JBISサーチ. 2022年5月29日閲覧。
  10. ^ a b c d Go for Ginの血統表”. netkeiba.com. 2022年5月29日閲覧。

外部リンク

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