サイイド・ムハンマド・グラーブズイ
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サイイド・ムハンマド・グラーブズイ Sayed Muhammad Gulabzoi | |
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1989年12月26日 | |
生年月日 | 1951年(72 - 73歳) |
前職 | 陸軍将校 |
所属政党 | アフガニスタン人民民主党 |
在任期間 | 1979年12月28日 - 1988年11月15日 |
議長 |
ムハンマド・ナジーブッラー ハジ・モハンマド・チャムカニ バブラク・カールマル |
在任期間 | 1978年7月8日 - 1979年9月15日 |
議長 | ヌール・ムハンマド・タラキー |
人民議会議員 | |
選挙区 | ホースト州 |
在任期間 | 2005年12月7日 - 2021年8月15日 |
サイイド・ムハンマド・グラーブズイ(سيد محمد ګلاب زوي、Sayed Muhammad Gulabzoi、1951年 - )は、アフガニスタンの政治家、軍人。少将。バブラク・カールマル政権で内務相を務めた。
経歴
[編集]パクティヤー州出身。パシュトゥーン人。父グリャム・シャーは、グラーブズイ部族の長。カーブル市のナーディル・シャー学校、アフガニスタン空軍士官学校を卒業。
1966年、マザーリシャリーフ市のアフガニスタン空軍輸送機連隊、1968年、カブール市のアフガニスタン空軍輸送機連隊に勤務。1968年からアフガニスタン人民民主党、ハルク派。
1973年、ムハンマド・ダーウードのクーデターに参加し、将官の逮捕に従事した。アフガニスタン空軍司令官副官。1976年10月~1977年3月、ソ連空軍飛行士特技向上航空課程研修。
1978年4月、四月革命に参加し、政府軍との戦闘で負傷した。同年、革命軍事会議議員、軍内の党業務組織委員会委員となり、ヌール・ムハンマド・タラキーの側近となった。1978年7月、通信相。1979年、内務相。1979年9月14日、タラキーがハフィーズッラー・アミーンに打倒されると、地下に潜伏した。
- 1980年1月11日~1988年 – 内務相
- 1980年~ – アフガニスタン人民民主党中央委員会委員
- 1987年~1988年10月 – アフガニスタン人民民主党政治局員
- 1988年11月25日~1990年 - 駐ソ連・フィンランド・ルーマニア大使
1990年3月、シャフナワーズ・タナイ将軍の反乱への関与で起訴され、罷免されたが、帰国を拒否した。1990年代、モスクワに転居。
2005年、アフガニスタン議会代議員。
家族
[編集]妻とは死別。3児を有する。