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サイード・ムスタファ・カゼミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サイード・ムスタファ・カゼミペルシア語: سید مصطفی کاظمی‎、英語:Seyyed Mustafa Kazemi、1959年 - 2007年11月6日)は、アフガニスタンの政治家、ムジャーヒディーンハザーラ人。野党「アフガニスタン国民戦線」の政治委員会委員長。サイイド・ムスタファ・カーゼミーサイエド・モスタファ・カーゼミーサイイド・ムスタファー・カーズミーとも表記される。

経歴

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長期間、イランに居住。アブドゥルアリー・マザーリームハンマド・アクバリーが率いるアフガニスタン・イスラム統一党の指導者の1人で、ソ連軍と戦った。

アフガニスタン内戦時は、ターリバーンと敵対し、アフマド・シャー・マスードが率いる北部同盟に加わった。

2001年~2002年、暫定政権の貿易相。その後、下院議員に当選し、経済問題委員会の委員長を務めた。

2007年3月、穏健派野党連合「アフガニスタン国民戦線」(代表:ブルハーヌッディーン・ラッバーニー)の臨時組織委員会を率い、後に戦線の政治委員会委員長、報道官となった。

2007年11月6日、自爆テロによりバグラームで暗殺。