コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ローマ劫掠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ローマ劫掠を描いた銅板画
ローマ劫掠を描いた絵(ヨハネス・リンゲルバッハ作)

ローマ劫掠(ローマごうりゃく、イタリア語: Sacco di Roma)は、1527年5月神聖ローマ皇帝スペインカール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、教皇領ローマ殺戮破壊強奪強姦などを行った事件を指す。

概説

[編集]

この頃、イタリアを巡ってはヴァロワ朝フランス王国神聖ローマ帝国による衝突が繰り返されてきた(イタリア戦争)。1515年にはフランス王フランソワ1世の軍がミラノに侵攻し、1521年ミラノ公国を支配するスフォルツァ家を追放するが、神聖ローマ皇帝カール5世は教皇レオ10世と結んでミラノを攻めたので、フランス軍はミラノから退去している。しかし教皇クレメンス7世(レオ10世の従弟)はフランス王と皇帝のどちらに就くか揺れており、フランスと結んだ事が、ローマ略奪のきっかけになる。

1526年パヴィアの戦いに敗れカール5世の捕虜になっていたフランソワ1世が釈放されると、カール5世に対抗するコニャック同盟を結成した。教皇もこれに加わり、皇帝と同盟していたフェラーラアルフォンソ1世・デステ破門し、ローマに幽閉した。これに対し、カール5世はローマへ軍勢を差し向け、スペイン兵、イタリア兵などからなる皇帝軍とドイツ傭兵がローマに進軍した。ドイツ兵にはカトリックを憎むルター派が多かったという。また長期の行軍に給料の支払いも悪く、飢えた兵も多かった。

1527年5月6日、ローマで皇帝軍と教皇軍の衝突が始まるが、クレメンス7世はサンタンジェロ城に逃げ込み、教皇軍は敗北した。この時、皇帝軍の指揮官であったブルボン公シャルル3世が戦死したが、指揮官を失ったにもかかわらず、配下の兵たちの士気はむしろ高まった。そして統制を失った軍勢はローマで破壊と略奪の限りを尽くした。市民らはなすすべもなく、6月に教皇は降伏した。皇帝軍がローマを撤退したのは翌年であった。

モーリス・セーヴはその惨状を以下のように綴っている。

駝鳥〔カール5世〕の呼び声を聞いた天翔ける鹿〔ブルボン公〕は
荒らされたねぐら〔没収されたブルボンの領地〕をはや捨てて飛び立つ
舞い降りたのはヨーロッパの一番高きとこと〔ローマ〕
そこならば平安と休息を得られると信ずるがゆえ
神聖この上なき彼の地を、天翔ける鹿は侵す
その悪名高き冒涜の手〔ドイツ傭兵隊〕をもって……

ローマに集まっていた文化人・芸術家は殺され、あるいは他の都市へ逃れた。文化財は奪われ、教会なども破壊され、ルネサンス文化の中心だったローマは壊滅、停滞の時期を迎えた。これによって1450年代から続いていた盛期ルネサンス時代は終わりを告げた。

カール5世自身はカトリック教徒であり、これほどまでの略奪を意図していたわけではなかったが、事態は皇帝側に有利となった。1529年、教皇と皇帝はバルセロナ条約を結んで和解、イタリアはカール5世の支配下に入った。1530年ボローニャにおいて教皇クレメンス7世の下、カール5世に対して神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われている。アルフォンソ1世も破門を解かれ、モデナレッジョを与えられた。

なお、フィレンツェ共和国を治めていたクレメンス7世の庶子アレッサンドロもこの騒ぎに乗じた市民に追放されたが、1530年にカール5世の支援で復帰、1532年に公爵位を授与され、フィレンツェ公国を成立させた。

参考文献

[編集]
  • アンドレ・シャステル『ローマ劫掠 一五二七年、聖都の悲劇』 越川倫明他4名訳、筑摩書房、2006年
  • グイッチァルディーニ イタリア史 第9巻』 川本英明訳 太陽出版、2007年 ※原典、全9巻
  • Buonaparte, Jacopo (1830). Sac de Rome, écrit en 1527 par Jacques Bonaparte, témion oculaire: traduction de l'italien par N. L. B. (Napoléon-Louis Bonaparte). Florence: Imprimerie granducale.
  • Arborio di Gattinara, Mercurino (Marchese) (1866). Il sacco di Roma nel 1527: relazione. Ginevra: G.-G. Fick.
  • Carlo Milanesi, ed. (1867). Il Sacco di Roma del MDXXVII: narrazione di contemporanei (in Italian). Firenze: G. Barbèra.
  • Schulz, Hans (1894). Der Sacco di Roma: Karls V. Truppen in Rom, 1527-1528. Hallesche Abhandlungen zur neueren Geschichte (in German). Heft 32. Halle: Max Niemeyer.
  • Lenzi, Maria Ludovica (1978). Il sacco di Roma del 1527. Firenze: La nuova Italia.
  • Chamberlin, E. R. (1979). The Sack of Rome. New York: Dorset.
  • Pitts, Vincent Joseph (1993). The man who sacked Rome: Charles de Bourbon, constable of France (1490-1527). American university studies / 9, Series 9, History, Vol. 142. New York: P. Lang. ISBN 978-0-8204-2456-9.
  • Gouwens, Kenneth (1998). Remembering the Renaissance: Humanist Narratives of the Sack of Rome. Leiden-New York: BRILL. ISBN 90-04-10969-2.
  • Gouwens, Kenneth; Reiss, Sheryl E. (2005). The Pontificate of Clement VII: History, Politics, Culture ((collected papers) ed.). Aldershot (UK); Burlington (Vt.): Ashgate. ISBN 978-0-7546-0680-2.

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]