サマラン (帆走フリゲート)
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サマラン | |
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サラワクで座礁・浸水した「サマラン」 | |
基本情報 | |
建造所 | コーチ (インド) |
運用者 | イギリス海軍 |
級名 | アソール級(Atholl class)28門6等艦(フリゲート) |
艦歴 | |
発注 | 1819年6月5日 |
起工 | 1821年3月 |
進水 | 1822年1月1日 |
竣工 | 1824年6月7日 |
最期 | 1883年11月 |
要目 | |
トン数 | 499bmトン(設計値) |
長さ |
113 ft 8 in (34.65 m)(放列甲板) 94 ft 8+3⁄4 in (28.873 m)(キール) |
幅 | 31 ft 6 in (9.60 m) |
深さ | 8 ft 9 in (2.67 m) (庫内) |
推進 | 帆走 (3本マスト・横帆) |
乗員 | 175人 |
兵装 |
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サマラン(HMS Samarang)は、イギリス海軍の28門搭載アソール級(Atholl class)木造(チーク材)フリゲートである。
「サマラン」はイギリス東インド会社によって、1822年にインドのコーチで進水した。
世界中の幾つかの艦隊に所属し、アヘン戦争にも参加した。1843年から1846年にかけてエドワード・ベルチャーの指揮下でボルネオや東南アジアの調査を行なっている[1]。この間の1843年には沖縄[2][3]、1845年には長崎に来航し、天保の薪水給与令に従って薪水の補給を受けている。その後ジブラルタルにて1847年5月の艦種変更で警備艦となり、1883年に解体のために売却された[4][5][6]。
脚注
[編集]- ^ Narrative of the Voyage of H.M.S. Samarang during 1843-1846 (1848)
- ^ ベルチャーのサマラン号航海日誌の内、沖縄関係は「サマラン号の八重山来航記」として安積鋭二の訳がある
- ^ 英国軍艦サマラン号通詞見聞記
- ^ "William Loney"
- ^ Naval database
- ^ National Maritime Museum