サム・パーキンス
2016年のパーキンス | ||||||||||||
引退 | ||||||||||||
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ポジション | PF/C | |||||||||||
シュート | 左 | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
愛称 | "Big Smooth" , "Sleepy Sam" | |||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
生年月日 | 1961年6月14日(63歳) | |||||||||||
出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市 ブルックリン区 | |||||||||||
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 107kg (236 lb) | |||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||
出身 | ノースカロライナ大学 | |||||||||||
ドラフト | 1984年 1巡目 4位 DAL | |||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||
1984-1990 1990-1993 1993-1998 1998-2001 |
ダラス・マーベリックス ロサンゼルス・レイカーズ シアトル・スーパーソニックス インディアナ・ペイサーズ | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
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Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 1984 | |||||||||||
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サミュエル・パーキンス (Samuel Perkins 1961年6月14日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク市ブルックリン区出身の元バスケットボール選手。NBAのシアトル・スーパーソニックスなどで活躍した。
来歴
[編集]ニューヨーク州の高校から1980年にノースカロライナ大学に進学。マイケル・ジョーダンやジェームズ・ウォージーらと共にプレーし、1982年にNCAAトーナメントで優勝を経験。更に1984年ロサンゼルスオリンピックの出場メンバーにも選出され、金メダルも獲得した。
現在でも "黄金ドラフト" として名高い1984年のNBAドラフトでは、ダラス・マーベリックスから全体4位という高評価を受けNBA入り[1]。1990年までマーベリックスの主力として活躍した。
1990年オフにロサンゼルス・レイカーズに移籍。ノースカロライナ大学時代のチームメイトだったジェームズ・ウォージーと再びプレーすることになる。移籍1年目の1990-91シーズンにレイカーズはカンファレンス優勝を果たし、NBAファイナルは同じく大学時代のチームメイトだったマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとの対戦。しかし、全盛期を迎えつつあったブルズにレイカーズはなすすべなく1勝4敗で敗退。
1992-93シーズン途中に、シアトル・スーパーソニックスに移籍。1993-94シーズンはウェスタンカンファレンス1位で終えたものの、プレーオフ1回戦ではディケンベ・ムトンボ率いるデンバー・ナゲッツにまさかの敗戦。1995-96シーズンこそウェスタンカンファレンスを制してパーキンスは二度目のNBAファイナル出場となったが、前人未到の"72勝10敗"を記録したシカゴ・ブルズに、ソニックスは食い下がったものの2勝4敗で力尽きた。
1998-99シーズン、インディアナ・ペイサーズに移籍。翌1999-2000シーズン、ペイサーズはイースタンカンファレンスを制して、パーキンスは自身三度目のNBAファイナル出場になる。相手はパーキンスの古巣のロサンゼルス・レイカーズ。シャキール・オニールとコービー・ブライアントのコンビが噛み合ったレイカーズに、パーキンスもオニール相手に奮闘したものの、パーキンスにリック・スミッツ、デイル・デイヴィスのペテラン陣をもってしてもオニールの猛攻を食い止めることは出来ず、勝負が決した第6戦はスミッツがファウルアウトを喫するという幕切れで力尽きた。
翌2000-01シーズンは、スミッツが引退しデイヴィスが移籍した為に65試合出場で41試合に先発で起用されたが、2001年オフにペイサーズからの契約は更新されずに引退。パーキンスはNBAファイナル出場3回を誇りながらも、遂にNBAチャンピオンを経験することは出来なかった。
引退後
[編集]2008年にインディアナ・ペイサーズの選手人事部関連の副社長に就任[2]、同年にはニューヨーク市のバスケットボール殿堂入りも果たした[3]。
脚注
[編集]外部リンク
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