サム・ピラフィアン
サム・ピラフィアン James Samuel Pilafian | |
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生誕 | 1949年10月25日 |
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州マイアミ |
死没 |
2019年4月5日(69歳没) アメリカ合衆国 アリゾナ州テンピ |
職業 | 演奏家 |
担当楽器 | チューバ |
サム・ピラフィアン(Sam Pilafian, 1949年10月25日[1] - 2019年4月5日[1])は、アメリカ合衆国出身のチューバ奏者。金管五重奏団エンパイア・ブラスの創設メンバーの一人。
経歴
[編集]1949年、フロリダ州マイアミにおいて弁護士の父ジェームズとそのパラリーガルを務めた母ローザの間に生まれる[1][2]。子供の頃はアコーディオンを演奏していたが、ベテランのチューバ奏者の助言により11歳の時にチューバを演奏するようになった[1]。後のマイアミ大学のフィリップ アンド パトリシア フロスト音楽学校において学士号を取得した[1]。
1971年に金管五重奏団エンパイア・ブラスを創設、1993年までメンバーを務める[3]。また、金管アンサンブルサミット・ブラス(Summit Brass)[2]、金管五重奏団ボストン・ブラス(Boston Brass)にも参加した[3]。
レナード・バーンスタインの注目を集め、1971年にワシントンDCケネディ・センターにて、バーンスタイン作曲の「ミサ曲」(Mass)の世界初演に参加する[2]。
ボストン交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、セントルイス交響楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団等に加え、デューク・エリントン・オーケストラ、ライオネル・ハンプトン、ピンク・フロイドとも共演する[3]など多彩なジャンルで活動していた。
ボストン大学タングルウッド研究所(en:Boston University Tanglewood Institute)、バークリー音楽大学、マイアミ大学フロスト音楽院(en:Frost School of Music)にて教職を歴任し後進の育成に励んだ。アリゾナ州立大学名誉教授[3]。
チューバ奏者パトリック・シェリダン(Patrick Sheridan)と共著で教則本「Breathing Gym」「Brass Gym」を著している[3]。
2019年4月5日、アリゾナ州テンピの自宅で大腸癌により死去した。69歳没[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Richard Sandomir「Tuba maestro Sam Pilafian dies at 69」『New York Times News Service』Antelope Valley Press、2019年4月14日。オリジナルの2019年4月14日時点におけるアーカイブ。2019年4月15日閲覧。
- ^ a b c “Sam Pilafian Biography & History”. AllMusic. 2018年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e “Sam Pilafian, Tuba”. Boston Brass. 2016年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月6日閲覧。
外部リンク
[編集]公式サイト(英語)