サルデーニャ君主一覧
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サルデーニャ君主一覧(サルデーニャくんしゅいちらん)では、サルデーニャを統治した支配者について列挙する。
中世初期の支配者
[編集]サルデーニャ全土を支配した者はいない。
- Goddas(533年 - 534年) ヴァンダル族出身の総督。
- Ospitone(6世紀後半) Barbagiaのみを支配。
- Mujahid al-Muwaffaq(1015年 - 1016年) サルデーニャ南部を征服したアラブ人。
裁判官
[編集]→詳細は「en:Giudicati」を参照
サルデーニャは11世紀に裁判区と呼ばれる4つの自治区に分割された。
- アルボレーア判事(Giudice di Arborea)(1070年 - 1410年)
- カリアリ判事(Giudice di Cagliari)(1060年 - 1258年)
- ガッルーラ判事(Giudice di Gallura)(1070年 - 1288年)
- ログドーロ判事(Giudice di Logudoro)(1060年 - 1259年)
何人かの者は時折、王 (rex) の称号を用いた。
- 1113年 - 1128年 コンスタンティン1世・ディ・トレス(Constantine I di Torres)
- 1128年 - 1150年 ゴナーリオ2世・ディ・トレス(Gonario II di Torres)
何人かの者は神聖ローマ皇帝の許可の下でサルデーニャ王 (rex Sardiniae) の称号を用いた。
- バリゾーネ2世・ダルボレーア(Barisone II d'Arborea)(1164年 - 1165年) 皇帝フリードリヒ1世
- ピエトロ1世・ダルボレーア(Pietro I d'Arborea)(1185年から)バリゾーネ2世から相続
- ウゴーネ1世・ダルボレーア(Ugone I d'Arborea)(1185年から)バリゾーネ2世から相続
- エンツォ(1238年 - 1245年) 妻アデラシア・ディ・トレス(Adelasia di Torres)の権利により父である皇帝フリードリヒ2世によって認められる
全島を実効支配した者はいなかった。
サルデーニャ国王
[編集]アラゴン王国による直接統治
[編集]1297年にアラゴン国王ハイメ2世はローマ教皇ボニファティウス8世から Rex Sardiniae et Corsicae の王号を受けた。サルデーニャの実効支配は、ピサに対する遠征を経た後、1323年以降である。
名前 | 肖像画 | 生年 | 結婚 | 死去 |
---|---|---|---|---|
ハイメ2世 1323年 - 1327年 |
1267年8月10日 バレンシア ペドロ3世とコンスタンサ・デ・シシリアの息子 |
イサベル・デ・カスティーリャ 1291年12月1日 子を儲けず ブランカ・デ・ナポレス 1295年10月29日 10人の子を儲ける マリー・ド・リュジニャン 1315年6月15日 子を儲けず ムンカーダのアリゼンダ 1322年12月25日 子を儲けず |
1327年11月5日 バルセロナ 60歳没 | |
アルフォンソ4世 1327年 - 1336年 |
1299年 ナポリ ハイメ2世とブランカ・デ・ナポレスの息子 |
テレサ・デ・エンテンサ 1314年 7人の子を儲ける レオノール・デ・カスティーリャ 2人の子を儲ける |
1336年1月27日 バルセロナ 37歳没 | |
ペドロ4世 1336年 - 1387年 |
1319年10月5日 バラゲー アルフォンソ4世とテレサ・デ・エンテンサの息子 |
マリア・デ・ナバラ 1338年 2人の子を儲ける レオノール・デ・ポルトゥガル 1347年 子を儲けず レオノール・デ・シシリア 4人の子を儲ける |
1387年1月5日 バルセロナ 68歳没 | |
フアン1世 1387年 - 1396年 |
1350年12月27日 ペルピニャン ペドロ4世とレオノール・デ・シシリアの息子 |
マルタ・デ・アルマグナック 1人の子を儲ける ビオランテ・デ・バル 3人の子を儲ける |
1396年5月19日 フォイサー 46歳没 | |
マルティン1世 1396年 - 1410年 |
1356年 ジローナ ペドロ4世とレオノール・デ・シシリアの息子 |
マリア・デ・ルナ 1372年6月13日 4人の子を儲ける マルガリータ・デ・プラデス 1409年 子を儲けず |
1410年5月31日 バルセロナ 54歳没 |
名前 | 肖像画 | 生年 | 結婚 | 死去 |
---|---|---|---|---|
フェルナンド1世 1412年 - 1416年 |
1380年11月27日 メディナ・デル・カンポ カスティーリャ王フアン1世 とレオノール・デ・アラゴンの息子 |
レオノール・デ・アルブルケルケ 1394年 8人の子を儲ける |
1416年4月2日 イグアラダ 36歳没 | |
アルフォンソ5世 1416年 - 1458年 |
1396年 メディナ・デル・カンポ フェルナンド1世とレオノール・デ・アルブルケルケの息子 |
マリア・デ・カスティーリャ 1415年 子を儲けず |
1458年6月27日 ナポリ 52歳没 | |
フアン2世 1458年 - 1479年 |
1397年6月29日 メディナ・デル・カンポ フェルナンド1世とレオノール・デ・アルブルケルケの息子 |
ナバラ女王ブランカ1世 1419年11月6日 4人の子を儲ける フアナ・エンリケス 2 人の子を儲ける |
1479年1月20日 バルセロナ 81歳没 | |
フェルナンド2世 1479年 - 1516年 |
1452年3月10日 フアン2世とフアナ・エンリケスの息子 |
カスティーリャ女王イサベル1世 1469年10月19日 5人の子を儲ける ジェルメーヌ・ド・フォワ 1505年 子を儲けず |
1516年1月23日 マドリード 54歳没 |
スペインの直接統治
[編集]名前 | 肖像画 | 生年 | 結婚 | 死去 |
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カルロス1世 1516年 - 1554年 |
1500年2月24日 ヘント カスティーリャ王フェリペ1世とカスティーリャ女王フアナの息子 |
イサベル・デ・ポルトゥガル 1526年3月10日 3人の子を儲ける |
1558年9月21日 ユステ 58歳没 | |
フェリペ2世 1554年 - 1598年 |
1527年5月21日 バリャドリッド カルロス1世とイサベル・デ・ポルトゥガルの息子 |
マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル 1543年 1人の子を儲ける イングランド女王メアリー1世 1554年 子を儲けず エリザベート・ド・ヴァロワ 1559年 2人の子を儲ける アナ・デ・アウストリア 1570年5月4日 5人の子を儲ける |
1598年9月31日 マドリード 71歳没 | |
フェリペ3世 1598年 - 1621年 |
1578年4月14日 マドリード フェリペ2世とアナ・デ・アウストリアの息子 |
マルガリータ・デ・アウストリア 1599年4月18日 5人の子を儲ける |
1621年3月31日 マドリード 42歳没 | |
フェリペ4世 1621年 - 1665年 |
1605年4月8日 バリャドリッド フェリペ3世とマルガリータ・デ・アウストリアの息子 |
イサベル・デ・ボルボン 1615年 7人の子を儲ける マリアナ・デ・アウストリア 1649年 5人の子を儲ける |
1665年9月17日 マドリード 60歳没 | |
カルロス2世 1665年 - 1700年 |
1661年11月6日 マドリード フェリペ4世とマリアナの息子 |
マリア・ルイサ・デ・オルレアンス 1679年11月19日 子を儲けず マリアナ・デ・ネオブルゴ 1690年5月14日 子を儲けず |
1700年11月1日 マドリード 38歳没 | |
フェリペ5世 1700年 - 1713年 |
1683年12月19日 ヴェルサイユ フランス王太子ルイとマリー・アンヌ・ド・バヴィエールの息子 |
マリア・ルイサ・デ・サボヤ 1701年11月2日 4人の子を儲ける エリザベッタ・ファルネーゼ 1714年12月24日 7人の子を儲ける |
1746年7月9日 マドリード 62歳没 |
ユトレヒト条約でオーストリア継承戦争が終結した後、サルデーニャはオーストリアに譲渡された。
オーストリアの直接統治
[編集]名前 | 肖像画 | 生年 | 結婚 | 死去 |
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カール6世 1713年 - 1720年 |
1685年10月1日 ヴィエンナ レオポルト1世とエレオノーレ・マグダレーネ・フォン・プファルツ=ノイブルクの息子 |
エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル 1708年8月1日 4人の子を儲ける |
1740年10月20日 ヴィエンナ 55歳没 |
四カ国同盟戦争の間の1718年にスペイン軍はサルデーニャに侵入した。神聖ローマ皇帝カール6世はハーグ条約でサヴォイア公国にサルデーニャを譲渡した。
サヴォイア家
[編集]サヴォイア家の君主は自らの根拠地であるトリノに首都を置いたが、自身の称号としてはサヴォイア公よりも格上であるサルデーニャ国王を用いた。ただし、「○世」の代数はサヴォイア君主としてのものを共通で用いている。
1859年から1861年の間に、サルデーニャ王国はイタリアの主要な諸国を併合した。1861年3月17日、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はトリノの議会においてイタリア国王即位を宣言した。