サルファラーズ・ハーン
Sarfaraz Khan サルファラーズ・ハーン | |
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ベンガル太守 | |
サルファラーズ・ハーン | |
在位 |
1727年 1739年 - 1740年 |
戴冠式 |
1727年7月1日 1739年3月13日 |
出生 |
1700年以降 |
死去 |
1740年4月26日 ギリヤー |
王朝 | ナーシリー朝 |
父親 | シュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーン |
宗教 | イスラーム教 |
サルファラーズ・ハーン(Sarfaraz Khan, 1700年以降 - 1740年4月26日)は、東インドのベンガル太守(在位:1727年、1739年 - 1740年)。
生涯
[編集]1700年以降、サルファラーズ・ハーンはシュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーンの長男として生まれた[1]。
1720年から1726年にかけて、サルファラーズ・ハーンはベンガルのディーワーンであった。
1727年6月30日、サルファラーズ・ハーンの祖父であるベンガル太守ムルシド・クリー・ハーンがムルシダーバードで死亡した。その場にいた彼は太守として指名されており、7月1日には太守として即位した[1]。
だが、その場にいなかった父シュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーンはこれを認めず、その副官アリーヴァルディー・ハーンとともにムルシダーバードへと大軍を連れて向かった。
結局、同月ムルシド・クリー・ハーンの娘が混乱を避けるために二人を和解させ、サルファラーズ・ハーンは退けられ、父が太守となった[1]。とはいえ、彼はサラファラーズ・ハーンを自身の後継者としていたことから、その後の父子関係は悪くはなかったようである。
12年後、1739年8月26日に父シュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーンは死亡した。それより既に前、3月13日にサルファラーズ・ハーンは太守位を譲られていた[1]。
だが、サルファラーズ・ハーンが待ち望んだその地位は、父の時代に力をつけた強力な部下である副官アリーヴァルディー・ハーンに狙われていた。70歳近いこの男は太守位の簒奪を図り、新たな王朝の創始を企てていた。
1740年4月26日、サルファラーズ・ハーンはアリーヴァルディー・ハーンをギリヤーで迎え撃ったが、部下のアーラム・チャンドに裏切られた。彼は必死に戦ったが、敵の銃弾が命中したために死亡した(ギリヤーの戦い)[1]。