サンタージー・ゴールパデー
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サンタージー・ゴールパデー(マラーティー語:संताजी घोरपडे, Santaji Ghorpade, 生年不詳 - 1697年7月)は、インドのデカン地方、マラーター王国の武将。
生涯
[編集]サンタージーはゴールパデー家に生まれた。ゴールパデー家はボーンスレー家の支流である。
1689年、マラーター王サンバージーが殺害されると、新たにマラーター王となったラージャーラームはシェンジ(ジンジー)に逃げ、その地を王都とした[1]。
一方、サンタージーはダナージー・ジャーダヴとともにマハーラーシュトラからカルナータカにかけてゲリラ戦を行い、ムガル帝国、そして皇帝アウラングゼーブへの抵抗をつづけた[1][1]。
サンタージーは数多くの戦いに勝利し、1692年12月にはダナージー・ジャーダヴとともにシェンジを攻撃したカルナータカ太守ズルフィカール・ハーンを破っているほか、1695年11月20日にはアウラングゼーブ支えていた武将カーシム・ハーンをチトラドゥルガ付近で殺害している。
1697年7月、サンタージーはカルナータカの森林の川で入浴中、アウラングゼーブの手先に暗殺された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小谷汪之編『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年