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サンピット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンピット
Skyline of サンピット
サンピットの位置(カリマンタン島内)
サンピット
サンピット
南緯2度32分 東経112度57分 / 南緯2.533度 東経112.950度 / -2.533; 112.950
インドネシア
中部カリマンタン州
統治区 東コタワリンギン統治区英語版
標高
25 m
等時帯 UTC+8 (WIB)

サンピット(Sampit)はインドネシアボルネオ島中部カリマンタン州にあるサンピット川英語版に面する木材積出港のある港町である。東コタワリンギン統治区英語版の中心地である。インドネシアの中で最大の木材積出港である[1]

サンピットはサンピット・タナ・ヘヴェア(Sampit Tanah Hevea)としても知られている。2009年8月のデータでは、人口が66,053人で、街の平均標高は25m[2]

歴史

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サンピットは民族間の衝突により世界的に知られることになった。2001年2月17日、ダヤク族マドゥラ族の間に武力衝突が生じ、10日間にわたって続いた[3]。(サンピット衝突英語版)表面上の暴力的対立は2001年に始まったとする説が多くある。ある説ではダヤク族の家が放火されたことに端を発するとしている。このときマドゥラ族が火をつけたという噂が広まり、のちにダヤク族のグループの1つが近所のマドゥラ族の家を焼いたとされている[4]。他の説では2000年12月にダヤク族の男性が3人のマドゥラ族に殺害された事件が大虐殺の引き金になったとしている[5]

わずか2週間の間に469人が殺害されたと報告され、うち456人がマドゥラ族である[3]。実際は生粋のマドゥラ族はサンピットから逃げ出し、虐殺前はマドゥラ族が60%を占めていたにもかかわらず「民族浄化」がサンピットとその周辺で行われた[5]。しかし、BBCのリポートでは、500人が死亡し、10万人のマドゥラ族が家を追われたと報告されている[6]。また逃げられなかった多くのマドゥラ族がダヤク族に首を切られた[7]。数百人の移民がこの地域から逃げ出し、海軍によって東ジャワ州マドゥラ島に移送された。

地理

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サンピットはボルネオ島の中南部に位置し、メンタヤ川(Mentaya River)[8]とも呼ばれるサンピット川[9]の湿地帯にある。サンピットはジャワ海からもあまり離れてはいない[10]シュワネル山脈インドネシア語版から長い尾根が南に延びており、メンダワイ川英語版やセルヤン川と水系を分けている。この水系上にはブキトバカインドネシア語版の丘があり、サンピット湾に伸びている[11]。サンピットの街と海との間は古来密林が広がっていたが、道路建設や開発に伴い森林面積は減少している[11]

サンピットの北、パンカランブーン英語版への道路沿いには泥炭質の低湿地の森林が広がっている[12]

サンピットは河口から約20kmのところにある[13]。サンピットには空港もあり、サンピット空港英語版あるいはH.アサン空港(H.Asa Airport)[14]として知られている。(IATAコード:SMQ、ICAOコード:WAOS)[15]カルスター・アビエーション英語版バンジャルマシンクタパン英語版、パンカランブーンと、メルパチ・ヌサンタラ航空ジャカルタスラバヤとサンピットをそれぞれ結んでいる。

名所

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サンピット川河口にあるパンダランビーチ(Pandaran Beach)や、ペンバンガン・フルのラン公園、境界近くのコタワリンギン狩猟地などが重要な名所である[16]

パンダランビーチ(Pandaran Beach)
このビーチはサンピット川河口にあり、公園として開発されている。川の河口が北にあるにもかかわらずジャワ海が南で広がっていることが特徴的である[16]
ペンバンガン・フルのラン公園(Orchid Park of Pembuangan Hulu)
ラン公園はペンバンガ・フルのにあり、数多くのランを見ることができる[16]

脚注

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  1. ^ Central Kalimantan”. Indonesia Tourism. 5 January 2011閲覧。
  2. ^ Population of Sampit, Indonesia”. Mongabay.com. 8 January 2011閲覧。
  3. ^ a b Fischer, Horst; McDonald, Avril; Dugard, John; Hans-Peter Gasser; Christopher Greenwood; Hortensia Gutierrez Posse; G. Herczeg; William Fenrick (23 May 2004). Yearbook of International Humanitarian Law:. Cambridge University Press. p. 539. ISBN 978-90-6704-169-0. https://books.google.co.jp/books?id=lw62fC-SbrIC&pg=PA539&redir_esc=y&hl=ja 5 January 2011閲覧。 
  4. ^ Indonesia: The Violence in Central Kalimantan (Borneo)”. Human Rights Watch (February 28, 2001). 2008年8月13日閲覧。
  5. ^ a b Abdullah, Taufik (2009). Indonesia: towards democracy. Institute of Southeast Asian Studies. p. 552. ISBN 978-981-230-366-0. https://books.google.co.jp/books?id=c39TDpLki8wC&pg=PA552&redir_esc=y&hl=ja 5 January 2011閲覧。 
  6. ^ “Indonesia flashpoints: Kalimantan”. BBC. (June 28, 2004). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3811219.stm 2008年8月13日閲覧。 
  7. ^ “Horrors of Borneo massacre emerge”. BBC. (February 27, 2001). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/1191865.stm 2008年8月13日閲覧。 
  8. ^ Central Kalimantan”. Indahnesia.com. October 30, 2010閲覧。
  9. ^ Rand McNally, The New International Atlas, 1993.
  10. ^ Kalimantan”. Consulate of the Republic of Indonesia to the Republic of Armenia. October 30, 2010閲覧。
  11. ^ a b Rijksen, H. D.; Meijaard, E. (30 June 1999). Our vanishing relative: the status of wild orang-utans at the close of the twentieth century. Springer. p. 213. ISBN 978-0-7923-5754-4. https://books.google.co.jp/books?id=Op0gflUGrT0C&pg=PA213&redir_esc=y&hl=ja 5 January 2011閲覧。 
  12. ^ Sarawak; Unesco. South East Asia Science Cooperation Office (1965). Symposium on Ecological Research in Humid Tropics Vegetation. pp. 217–23. https://books.google.co.jp/books?id=NonwAAAAMAAJ&redir_esc=y&hl=ja 5 January 2011閲覧。 
  13. ^ Geographical Dictionary of the World. Concept Publishing Company. p. 1631. ISBN 978-81-7268-012-1. https://books.google.co.jp/books?id=cVQDZFM1T2IC&pg=PA1631&redir_esc=y&hl=ja 9 January 2011閲覧。 
  14. ^ WAOS – H.Asan Airportの空港情報 - World Aero Data (2006年10月時点のデータ)
  15. ^ Great Circle Mapper: SMQ / WAOS – Sampit, Borneo, Indonesia
  16. ^ a b c Kalimantan”. Indonesia travel Organization. 8 January 2011閲覧。