サンマルコからボンジョルノ
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サンマルコからボンジョルノ | |
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愛称 | ボンジョルノ |
ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1971年4月 - 1978年3月27日 |
放送時間 | 1971年 月曜日 - 土曜日 → 1974年春より月曜日20時30分 - 21時30分 |
放送局 | 近畿放送(現:京都放送) |
パーソナリティ |
小杉征義 岡本裕美(岩崎裕美) 植月百枝 |
提供 | サンマルコ |
『サンマルコからボンジョルノ』は、近畿放送(現:京都放送)で放送されたラジオ番組。通称は「ボンジョルノ」。スポンサーは春陽堂が京都府内に展開していたピザ・パスタ料理店「サンマルコ」となっていた。
概要
[編集]1971年から月曜日 - 土曜日に10分間放送するミニ番組としてスタート。当初はイタリアの観光や流行情報をヨーロッパのポップ・ミュージックなどを織り交ぜて紹介する番組であった。
1974年春に月曜日20時30分に移行してからは、リスナーから募ったコミカルなはがきを紹介するスタイルとなる。番組内で採用されたはがきには賞品としてスポンサーであるサンマルコの食事券が贈られた。さらに、優秀な作品にはサンマルコのペンダントが賞品となっていた。1978年3月に放送を終了した。
出演者
[編集]- 小杉征義
- 岡本裕美(岩崎裕美)
- 植月百枝(岡本裕美降板後から担当)
差別ペンネーム事件
[編集]1977年秋ごろの放送でリスナーの投稿ハガキに「エタ・ヒニン君」と書かれたペンネームを小杉が読み上げたことがあり、番組終了後の1980年3月に部落解放同盟から抗議を受けた[1]。
脚注
[編集]- ^ 「同和対策事業特別措置法」強化改正要求国民運動中央実行委員会(編)、1981年2月23日『全国のあいつぐ差別事件』「同和対策事業特別措置法」強化改正要求国民運動中央実行委員会、266頁。