サン=ミッシェル=ノートルダム駅
サン=ミッシェル=ノートルダム駅 | |
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C線のホーム | |
Saint-Michel - Notre-Dame | |
所在地 | パリ5区 |
管理者 | フランス国鉄(SNCF)、パリ交通公団(RATP) |
駅構造 | 地下駅 |
開業年月日 | 1900年5月28日 |
備考 | 旧称ポン・サン=ミッシェル駅 |
サン=ミッシェル=ノートルダム駅(Saint-Michel - Notre-Dame)はフランス・パリの5区にあるRER B線とC線の駅である。一部の出口は4区のシテ島内や6区にある。B線の駅はパリ交通公団(RATP)が、C線の駅はフランス国鉄(SNCF)が管理している。
駅名はサン=ミッシェル橋、サン=ミッシェル広場とノートルダム大聖堂に由来する。メトロ4号線のサン=ミッシェル駅および10号線のクリュニー=ラ・ソルボンヌ駅との乗換駅である。
駅構造
[編集]C線
[編集]C線の駅はサン=ミッシェル河岸(Quai Saint-Michel)の地下、セーヌ川と平行に東西方向に相対式ホーム2面2線がある。
改札口は駅の東端、中央西よりのホーム上(両方向とも)、西端の三ヶ所にあり、東の改札からはプティ・ポン広場、中央西よりの改札からはサン=ミッシェル広場周辺に、西端の改札からはサン=ミッシェル広場の西方に出ることができる。また中央西よりの改札からはメトロ4号線のサン=ミッシェル駅への連絡通路がある。
B線
[編集]B線の駅はC線よりも下の層にあり、北半分はセーヌ川の分流とシテ島の地下にある。駅付近ではB線の北行、南行はそれぞれ単線トンネルになっており、ホームはそれぞれのトンネル内の単式ホームである。ただし両ホームはいくつかの連絡通路で結ばれており、階段もこの連絡通路部分に接続しているため、全体で一つの島式ホームとみなすこともできる。
ホーム中央付近の階段・エスカレーターはC線のホーム下の乗換用コンコースに接続しており、ここからC線のホームを経由して地上に出ることができる。またホームの北と南にもそれぞれ階段・エスカレーターがあり、北側からはシテ島のオテル・デュー・ド・パリ前に、南からは地下の連絡通路を経てメトロ10号線のクリュニー=ラ・ソルボンヌ駅に通じている。
歴史
[編集]現在のC線の駅は1900年の万国博覧会に合わせ、パリ・オルレアン鉄道がオステルリッツ駅からオルセー駅まで延伸されたときに開業した。開業時はポン・サン=ミッシェル(Pont Saint-Michel、サン=ミッシェル橋)という駅名であった。1938年からはフランス国鉄の駅となり、1979年にはRERのC線の駅となった。RER化の際にホームの拡幅工事が行われている。
RER B線の当初の計画では、サン・ミッシェル広場とリュクサンブール駅の中間付近に新駅を作ることになっていた。1971年の計画変更でリュクサンブール駅を存続させるとともにサン・ミッシェルにC線との接続駅を作ることとされた。B線のリュクサンブール駅 - シャトレ=レ・アル駅間は1977年に開業したが、この時点ではサン=ミッシェルに駅はまだ設けられていなかった。B線サン=ミッシェル=ノートルダム駅の工事は1982年に始まり、1988年2月15日に開業した。これに合わせC線の駅もサン・ミッシェル=ノートルダム駅と改称された。また第二次世界大戦以来休止中だったメトロ10号線のクリュニー=ラ・ソルボンヌ駅が営業を再開し、B線との乗換駅となった。
1995年7月25日、B線ホームに停車中の列車内で、アルジェリアのイスラム原理主義組織「武装イスラム集団」による爆弾テロが発生し、8人が死亡、117人が負傷した。
駅周辺
[編集]駅周辺のセーヌ川沿いは世界遺産「パリのセーヌ河岸」に含まれる。
C線の出口のあるサン=ミッシェル広場はミカエル像のある噴水で知られる。広場の周辺は書店が多くあり、東側はレストラン街である。B線の南側の出口近くにはクリュニーの中世博物館がある。
シテ島のノートルダム大聖堂、パリ警視庁、サント=シャペルなども近い。
隣の駅
[編集]- RER
- B線
- シャトレ=レ・アル駅(Châtelet - Les Halles) - サン=ミッシェル=ノートルダム駅 - リュクサンブール駅(Luxembourg)
- C線
参考文献
[編集]- Tricore, Jean (2002). le RER, le réseau francillien. RATP
北緯48度51分13秒 東経2度20分39秒 / 北緯48.85361度 東経2.34417度座標: 北緯48度51分13秒 東経2度20分39秒 / 北緯48.85361度 東経2.34417度