サン=ヴァースト=ラ=ウーグ
Saint-Vaast-la-Hougue | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ノルマンディー地域圏 |
県 (département) | マンシュ県 |
郡 (arrondissement) | シェルブール郡 |
小郡 (canton) | ケットウー小郡 |
INSEEコード | 50562 |
郵便番号 | 50550 |
市長(任期) |
ギルベール・ドゥーセ (2020年 -) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Val de Saire |
人口動態 | |
人口 |
1 966人 (2011年) |
人口密度 | 313人/km2 |
住民の呼称 | Saint-Vaastais |
地理 | |
座標 | 北緯49度35分19秒 西経1度15分58秒 / 北緯49.5886111111度 西経1.26611111111度座標: 北緯49度35分19秒 西経1度15分58秒 / 北緯49.5886111111度 西経1.26611111111度 |
標高 |
平均:? m 最低:0 m 最高:10 m |
面積 | 6.28km2 |
サン=ヴァー=ラ=ウーグ (Saint-Vaast-la-Hougue)は、フランス、ノルマンディー地域圏、マンシュ県のコミューン。
地理
[編集]コミューン内をセール川が流れる。コタンタン半島北部の東岸にあり、マリーナを擁する。コミューンの沖合数kmに浮かぶタティウ島も、コミューンに含まれている。干潮時には徒歩でタティウ島へ渡れ、港との定期的な往復には水陸両用車が用いられる。島にある塔は1694年、ヴォーバンの弟子バンジャマン・コンブによって建てられた。
南にあるラ・ウーグ砦も、1694年に同じくバンジャマン・コンブが建設した軍事拠点で、年に1回、ヨーロッパ文化遺産の日に一般公開されている。
港には大型トロール船が停泊し、干潮時にはタティウ島との間にカキの養殖場が姿を現す。ノルマンディー最古のカキ養殖の流域であった海岸は、サン=ヴァースト=ラ=ウーグにおいて海洋活動が何より優位であることを証明している[1]。
由来
[編集]教区は、6世紀にアラスとカンブレーの司教であった聖ヴァースト(fr)に捧げられていた。Hougueはコタンタン半島では一般的な名称で、北ゲルマン語群のhaugrから派生しており、高さを意味する[2]。
フランス革命後の国民公会時代(1792年から1795年)、コミューンの名はラ・ウーグ(La Hougue)、そしてポール・ラ・ウーグ(Port-la-Hougue)にされていた。1888年までサン=ヴァーストの名を採用し、その後サン=ヴァースト=ラ=ウーグとなった[3]。
歴史
[編集]1346年のクレシーの戦い前、イングランド王エドワード3世は、パリ攻略の遠征を始めていた。彼は新しい上陸地点を用意した。彼の敵であるフランス王は、有力ノルマン貴族でサン・ソヴール・ル・ヴィコント領主ジョフロワ・ダルクールを追放し、ダルクールはイングランド宮廷へ亡命した。このように、エドワード3世がコタンタン半島へ自由に往来する完璧な口実が与えられた。7月11日、イングランド王はポーツマス、サウサンプトン、ワイト島の港を千隻の船で満たし、帆をはらせた。翌日、要塞化されていないサン=ヴァースト=ラ=ウーグに2万人の兵力とともに王は上陸し、ノルマンディーを占領した。
1692年、バルフルール岬とラ・オーグの海戦では、提督トゥールヴィル率いるフランス海軍と英蘭艦隊の衝突がバルフルールで発生した。激しい戦闘の後、11隻のフランス艦船はサン・マロへ戻ることができず、ラ・ウーグおよびタティウ周辺で座礁し、炎上した。
侵略者からサン・ヴァースト湾を守るため、この敗北を教訓に1694年からラ・ウーグとタティウの丘の上に2つの要塞化された塔の建設が、ヴォーバンの門下生バンジャマン・コンブによって始められた。この要塞は19世紀まで使われていた。
19世紀、サン=ヴァーストの港が配備された。1828年から1845年にかけて大桟橋が、1846年から1852年にかけドックがそれぞれ整備された。その後防波堤が追加された。防波堤は1982年まで開いたままであった。それ以降は漁港とマリーナの間で共有される入り江を人工的に作るために閉じられている。
1944年、サン=ヴァースト港は、連合国側によって最初に解放されたマンシュ県の港となった。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 |
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2431 | 2391 | 2268 | 2347 | 2134 | 2097 | 2083 | 1966 |
参照元:1999年までEHESS[4]、2004年以降INSEE[5][6]
経済
[編集]カキ養殖が非常に有名であり、複数の業者がフランス国内や海外と売買を行っている。サン=ヴァースト=ラ=ウーグはノルマンディーにおけるカキ養殖発祥の地であり、カキ養殖棚が250エーカーの面積で広がる。
漁港とマリーナの水深は深く、満潮になると航行可能である。コタンタン沿岸の東側海岸であることの恩恵を受けている。1980年以来稼動するマリーナは、665隻の船が収容されている。
観光も重要な産業で、サン=ヴァースト=ラ=ウーグはリゾート地としてホテル、レストラン、キャンプ場を抱える。2011年4月以降、サン=ヴァースト=ラ=ウーグはコミューヌ・トゥーリスティック(fr)のラベル認定を受けたコミューンである[7]。
農業では野菜栽培が行われる。
史跡
[編集]- ラ・ウーグ要塞とタティウ島の塔 - いずれも1694年建設。現在はUNESCO世界遺産ヴォーバンの防衛施設群の1つに登録されている。
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ラ・ウーグ要塞
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タティウ島のヴォーバン塔
ゆかりの人物
[編集]姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ Pascal Leygoute, « À la pointe du Cotentin », fr:L'Express du 6 décembre 2004,
- ^ René Lepelley, Dictionnaire étymologique des noms de communes de Normandie, Condé-sur-Noireau, Éd. Charles Corlet, (ISBN 2-95480-455-4[à vérifier : ISBN invalide]), p. 242
- ^ [1]
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=34880
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr
- ^ {{{1}}} (PDF) "Préfecture de la Manche - Recueil des actes administratifs - avril 2011" (PDF).
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