ザイドリッツ (重巡洋艦)
ザイドリッツ (ドイツ語: Seydlitz) は、ドイツ海軍の巡洋艦[1]。Z計画におけるアドミラル・ヒッパー級の第3グループに属する。軽巡洋艦として建造が通告されたが、設計変更がおこなわれ重巡洋艦として進水した[2]。第二次世界大戦勃発後、航空母艦へ改造されたが、独ソ戦末期に未完成のまま自沈。艦名はプロイセンの将軍フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツから取られている[3]。ドイツ海軍の艦名としては、ドイツ帝国海軍の巡洋戦艦「ザイドリッツ」に続いて2代目。
概要
[編集]1935年6月18日、英独海軍協定が締結された[4]。ドイツ海軍は5万トンの巡洋艦建造枠を獲得し、甲級巡洋艦(重巡洋艦)5隻の建造が可能になった[5]。 同年末から第二次ロンドン海軍軍縮会議が開催され、1936年2月になるとドイツは直ちに重巡5隻を建造すると通告し、列強各国に衝撃を与えた[6]。イギリスがソビエト連邦の巡洋艦増強を承認すると、ドイツ海軍はますます巡洋艦の増勢を要請した[7][8]。
ドイツ海軍はZ計画により海軍の増強に乗り出し、重巡に関しては3隻の建造を開始した[4][9]。次に6インチ砲を搭載した1万トン級巡洋艦2隻の建造をおこなう[10] 。この2隻(ザイドリッツ、リッツオゥ)はアドミラル・ヒッパー級重巡の軽巡洋艦バージョンであり、6インチ砲12門(三連装砲塔四基)を搭載予定だった[注釈 1]。同年12月29日起工。1938年12月、ドイツは建造中の軽巡2隻を8インチ砲搭載の重巡として建造したいと申し入れ、イギリスは妥協した[注釈 2]。 1939年1月19日[注釈 3]、レーダー将軍臨席のもと進水[11]。先代「ザイドリッツ」の将校であったリチャード・フェルスター提督が演説をおこなった。
同年9月初頭の第二次世界大戦開戦時点では 23 パーセントしか完成していなかった。ソ連は同型の未成艦「リュッツオウ」と共に購入を希望したが、ドイツ側はそれを拒否した[注釈 4]。
潜水艦の建造に重点が移ったため工事は遅滞した。1942年8月に完成度 90 パーセントの時点で軽空母への改装が決定された。改装計画名を「ヴェーザー1」(Weser-1)と名付けられ(ただし、艦名そのものが改名された訳ではない)[13]、上部構造物の撤去などが行われたが、物資の欠乏のため1943年1月に工事は中止された。ケーニヒスベルクに曳航され、そこでソ連軍の侵攻に備えて1945年1月29日に自沈した。
1946年、ソビエト海軍によって浮揚された。「タリン」[注釈 5]のための部品取りが計画されたが実行されず、翌1947年に解体された。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ケーニヒスベルク級軽巡洋艦やライプツィヒ級軽巡洋艦が搭載したSK C/25 1925年型 15cm(60口径)速射砲である。
- ^ 英獨海軍協定妥協改修(二十日ロンドン發無電)[2] ドイツの潜水艦建造に關する同國政府の回答がこの程英當局に到達し目下研究中である 過般の英獨海軍協議會においてドイツ側より潜水艇のトン數増加並に一万トン巡洋艦二隻の備砲を六吋より八吋に擴大したき旨の希望を申入れたのに對し、英國側では英國の三割五分標準として同型巡洋艦に八吋砲五門を装備することを認め、ドイツ側でも大型巡洋艦の建造を制限する見地より自國巡洋艦を五隻とするに同意した(記事おわり)
- ^ 獨新艦八吋砲(二十日ベルリン發ルーター)[2] 十九日進水した一萬トン巡洋艦セイドリツツ號は六吋砲を装備する筈であつたが八吋砲に改められることが明らかにされた、右は先月英獨間に行はれれた海軍會談で決定を見たものである(記事おわり)
- ^ 第二次世界大戦直前の1939年8月23日、ソ連とナチスドイツは独ソ不可侵条約に調印し[12]、独ソ通商協定も締結した。
- ^ 独ソ開戦前の1940年4月、ソビエト連邦がナチス・ドイツより購入した重巡(ザイドリッツ姉妹艦)「リュッツオウ」のソ連名。
出典
[編集]- ^ “獨逸は海軍條約干犯 加入國エスカレーター條項發動? 問題となる八吋砲徑説”. Hoji Shinbun Digital Collection. Burajiru Jihō, 1939.01.24. pp. 01. 2024年11月4日閲覧。
- ^ a b c “英獨海軍協定妥協改修/獨新艦八吋砲”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1939.01.21. pp. 02. 2024年11月4日閲覧。
- ^ 『ドイツ海軍の重巡洋艦 1939-1945』45ページ
- ^ a b “〔獨ソ海軍陣容展望〕獨逸の海軍 再完成は三年後 リーデル大将麾下の陣容 主力艦は近く九隻に”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1937.01.18. pp. 01. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “獨蘇招請問題で倫敦會議危ぶまる際 一萬噸巡洋艦五隻建造を獨逸は通告”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1936.02.06. pp. 01. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “ドイツ果然軍擴敢行 一万噸巡洋艦五隻建造を傳達 ▼▼難また難▲▲の軍縮”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1936.02.06. pp. 01. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “ソ聯の海軍の増勢に獨逸より異議 英國説得に努めん”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1936.07.31. pp. 06. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “英ソ海軍協定假調印を了す 英が日本と協商建艦不増を公約せぬ限り極東水面に適用せず/巡洋艦増勢 ドイツ要求か”. Hoji Shinbun Digital Collection. Manshū Nichinichi Shinbun, 1936.08.01. pp. 02. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “獨海軍の大擴張 建造百五十隻 政府機關紙發表”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1938.08.19. pp. 02. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “再建獨海軍 百五十隻の内容”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1938.08.25. pp. 02. 2024年11月4日閲覧。
- ^ 「同盟時事月報第3巻第02号(通号057号)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.M23070011400 p.71〔 獨逸 獨新鋭巡洋艦進水 〕
- ^ “ソ聯獨逸軍は突如 不可侵條約を締結 闇から棒に民主々義國は唖然”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1939.08.23. pp. 01. 2024年11月4日閲覧。
- ^ http://www.german-navy.de/kriegsmarine/zplan/carrier/seydlitzcvl/history.html
参考文献
[編集]- ゴードン・ウィリアムソン、手島尚(訳)『ドイツ海軍の重巡洋艦 1939-1945』大日本絵画、2006年、ISBN 4-499-22909-X
関連項目
[編集]- 最上型重巡洋艦 - 竣工時は6インチ砲塔装備の軽巡洋艦(二等巡洋艦)だったが、8インチ砲塔を搭載して重巡洋艦となった。
- ド・グラース (防空巡洋艦) - フランス海軍の軽巡洋艦。フランス占領によりドイツ軍が鹵獲、ドイツ空母IIとして改造したが未完成。