ザンニス・ザンネタキス
ザンニス・ザンネタキス Τζαννής Τζαννετάκης | |
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生年月日 | 1927年9月13日 |
出生地 | ギリシャ王国 ギティオ |
没年月日 | 2010年4月1日(82歳没) |
死没地 | ギリシャ アテネ |
所属政党 | 新民主主義党 |
配偶者 | マリア・ラングーシ |
子女 | 2人 |
在任期間 | 1989年7月2日 - 1989年10月12日 |
大統領 | フリストス・サルゼタキス |
在任期間 | 1989年7月3日 - 1989年10月12日 |
首相 | ザンニス・ザンネタキス |
ザンニス・ザンネタキス(ギリシア語: Τζανής Τζαννετάκης、英語:Tzannis Tzannetakis、1927年9月13日 - 2010年4月1日)は、ギリシャの政治家。1989年の政治危機の最中に首相を務めた。
生涯
[編集]1927年9月13日にラコニア県ギティオに誕生した。海軍将校を務めていたが、ゲオルギオス・パパドプロス独裁政権に対する軍事クーデターの翌日の1967年4月22日に退官し、1969年から1971年まで投獄された。ギリシャが民主主義を取り戻した1974年にコンスタンディノス・カラマンリス率いる新民主主義党(ND)に入党した。1977年に国会議員に選出され、1981年に同党が惨敗を喫するまで公共事業などの大臣職を務めた。
1989年6月の議会選挙では、NDはアンドレアス・パパンドレウ率いる全ギリシャ社会主義運動(PASOK)を押さえ第一党となったが、選挙前にPASOKによって選挙法が改正されていたため、ND党首のコンスタンディノス・ミツォタキスは政権を樹立することができなかった。ザンネタキスは左派連立政権のもと首相に任命されたが、その一角を成した左派運動と環境学連合(SYN)が連立離脱したことで辞任した。それから同年12月の次回選挙まではイオアニス・グリヴァスが暫定政権を運営した。その12月の議会選挙でNDは46パーセントの票を獲得して再び第一党となったが、PASOKが40%の票を獲得して第二党となったため、またしても政権を樹立できなかった。その結果ND・PASOK・SYNの主要3党による大連立政権が誕生し、クセノフォン・ゾロタスが代表となったが、政党間の行き違いから4ヶ月もせず分裂した。1年間で3回目となる1990年の議会選挙では、NDはPASOKを得票率で8パーセント以上引き離し、さらに2人の国会議員を取り込んで過半数を確保し、ミツォタキス政権を樹立することができた。ザンネタキスはこの政権で1993年まで副首相を務めた。その後も政界引退を発表する2007年9月まで国会議員を務め上げた。
2010年4月1日にアテネ市内の病院で逝去した[1]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]先代 ステファノス・マノス |
公共事業大臣 1980年5月10日 - 1981年10月21日 |
次代 アタナシオス・アポストロス |
先代 カロロス・パプーリアス |
外務大臣 第8代:1989年7月3日 - 1989年10月12日 |
次代 ゲオルギオス・パプーリアス |
先代 ニコス・スコウラス ジョージ・コントゲオルギス |
観光大臣 1989年7月3日 - 1989年10月12日 1989年11月23日 - 1990年2月13日 |
次代 ジョージ・コントゲオルギス ジョージ・コントゲオルギス |
先代 アンドレアス・パパンドレウ |
ギリシャ首相 第169代:1989年7月2日 - 1989年10月12日 |
次代 イオアニス・グリヴァス |
先代 セオドロス・デジャンニス |
国防大臣 1989年11月23日 - 1990年2月16日 |
次代 セオドロス・デジャンニス |
先代 ゲオルギオス・ミロナス |
文化大臣 1990年4月11日 - 1991年8月8日 |
次代 アンナ・プサルダ=ベナーキ |
先代 |
副首相 (アタナシオス・カネロプロスと共同) 1990年4月11日 - 1993年10月13日 |
次代 テオドロス・パンガロス 2009年に復活 |