コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

シグフリード・アウグスト・ケイナネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シグフリード・アウグスト・ケイナネン
Sigfrid August Keinänen
生誕 1841年2月7日
フィンランド、クオピオ
死没 1937年11月15日
フィンランド、Lempäälä
テンプレートを表示

シグフリード・アウグスト・ケイナネン(Sigfrid August Keinänen、1841年2月7日 - 1914年9月25日[1])はフィンランドの画家である。フィンランドの人々の暮らしや、民族叙事詩「カレワラ」 を題材に作品を描いた。ヘルシンキの様々な美術学校で、後進を指導した。

略歴

[編集]

北サヴォ県クオピオの大工の息子に生まれた[1]。はじめ父親の仕事を手伝ったが、1863年に工芸を含む初等教育の教師を育成するために設立された学校(Jyväskylän seminaari)に最初の学生の一人として入学し、1867年に卒業した。1867年から1868年の間はフィンランド美術協会の絵画学校で、絵の勉強を続けた。1868年に母校のJyväskylän seminaariで展覧会を開いて、国外留学の資金を集め、1869年からコペンハーゲンデンマーク王立美術院ストックホルムスウェーデン王立美術院に留学し、1872年に帰国した。帰国後はヘルシンキのいろいろな学校で美術教師を務め、後にヘルシンキ芸術デザイン大学になる美術学校(Taideteollisessa keskuskoulussa)やフィンランド美術協会(Suomen Taideyhdistyksen piirustuskoulussa) の絵画学校でも教えた[2][3] 。1877年に若手芸術家が参加するコンクール、Dukaattipalkintoで2位となった。

1887年から1888年の間は奨学金を得て、イタリア、パリに留学した[1]。1882年から1911年までフィンランド美術協会の理事を務め、1914年に名誉会員の称号を贈られた。

アカデミック美術のスタイルで、フィンランド人の日常の生活を描いた画家である。

息子のVäinö Keinänen(1879-1948)は建築家になった。

作品

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Aimo Reitala: Keinänen, Sigfrid August (1841 - 1914) Kansallisbiografia-verkkojulkaisu (maksullinen). 13.10.2004. Helsinki: Suomalaisen Kirjallisuuden Seura
  2. ^ Jyväskylän taidemuseo - taiteilijoita Viitattu 27.2.2014.
  3. ^ S. A. Keinänen taiteilijamatrikkelissa

参考文献

[編集]
  • Vantaan aikuislukion taidehistorian kurssi - Düsseldorfilaisia taiteilijoita
  • Ilmari Heikinheimo: Suomen elämäkerrasto. Helsinki: Werner Söderström Osakeyhtiö, 1955. Sivu 379.