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シティ・オブ・ブリュッセル (客船)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シティ・オブ・ブリュッセル
基本情報
船種 蒸気船
船籍  イギリス
所有者 インマン・ライン
建造所 トッド・アンド・マクグリーガー
経歴
進水 1869年8月11日
就航大西洋横断航路)
最後 1883年1月7日に沈没
要目
総トン数 3,100 トン
長さ 390フィート (120 m)
40フィート (12 m)
喫水 28フィート (8.53 m)
その他 マスト数: 3本
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シティ・オブ・ブリュッセル(英:SS City of Brussels)は、インマン・ラインの所有した客船。

概要

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インマン・ラインはライバルであるキュナード・ラインと激しい競争を繰り広げており、そんな中でシティ・オブ・ブリュッセルは、シティ・オブ・パリと共に、リヴァプール - ニューヨーク間の新しい定期船として建造された。

シティ・オブ・ブリュッセルはトッド・アンド・マクグリーガー社によって建造され、1等船客200名、3等船客600名を収容することができた。就航1年目にしてニューヨーク - クイーズタウン間を7日20時間33分(速力14.74ノット)で横断し、ブルーリボン賞に輝いた。しかし1870年、航行中にスクリューが脱落し、帆でクイーズタウンへ帰港するというアクシデントがあり、スクリューが1軸しかない船舶の欠点を露呈させる結果となった。

3年後、シティ・オブ・ブリュッセルは改修が始まり、デッキを増設したり設備を入れ替えたりしたため、総トン数が3750トンに増えた。また、1876年にはエンジンも交換され、1日に110トンもの石炭を消費していた効率の悪いエンジンは撤去、新しいエンジンは1日に石炭を65トンしか消費しないものだった。同時に煙突が2本に増えたが、1877年4月23日、エンジンへとつながるシャフトが破損し、再び帆によって帰還するトラブルがあり、シティ・オブ・ブリュッセルは既に時代遅れとなっていた。

1883年1月7日、シティ・オブ・ブリュッセルは乗客を降ろした後、クイーズタウンからニューヨークへと向かう途中、濃霧の中マージー川を航行していたが、船長の判断により天候が回復するまで停泊することにしたが、突如出現した貨物船のキルビー・ハル(Kirby Hall)に衝突され、2つに分裂した。貨物船には最小限の船員しか搭乗しておらず、危険に気づくのが原因であった。20分も経たないうちにシティ・オブ・ブリュッセルは沈没し、10名が犠牲となった。

記録
先代
スコッティア
ブルーリボン賞 (船舶)(東回り航路)保持船舶
1869年
次代
バルチック