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シティ・スタジアム (グリーンベイ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シティ・スタジアム
City Stadium
シティ・スタジアム (グリーンベイ)の位置(ウィスコンシン州内)
シティ・スタジアム (グリーンベイ)
シティ・スタジアム (グリーンベイ)の位置(アメリカ合衆国内)
シティ・スタジアム (グリーンベイ)
Location in Wisconsin##Location in the United States
施設情報
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
N. Baird St. north of E. Walnut St.
Green Bay, Wisconsin
位置 北緯44度30分27秒 西経87度59分33秒 / 北緯44.50750度 西経87.99250度 / 44.50750; -87.99250座標: 北緯44度30分27秒 西経87度59分33秒 / 北緯44.50750度 西経87.99250度 / 44.50750; -87.99250
開場 1925年 (99年前) (1925)
所有者 グリーンベイ東高校
グラウンド 天然芝人工芝
旧称
イースト・スタジアム
使用チーム、大会
グリーンベイ・パッカーズNFL)1925-1956
グリーンベイ東高校Bay)1925-現在
収容人員

シティ・スタジアム(City Stadium)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイにあるアメリカンフットボールスタジアムである。グリーンベイ東高校英語版の敷地北部にある。1925年から1956年までNFLグリーンベイ・パッカーズの本拠地であった。改装後、スタジアムは小型化されたが、引き続きグリーンベイ東高校のアメリカンフットボールチームがホームスタジアムとして使用している。1925年以前は、パッカーズは近隣のハーゲマイスター・パーク英語版(グリーンベイ東高校の敷地そのもの)とベレビュー・パーク英語版でホーム試合を行っていた[1]

歴史

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シティ・スタジアムは、グリーンベイ東高校の裏手、イースト川英語版沿いに建てられ、蹄鉄の形をした木造のスタンドがあったものの、当初はトイレが設置されていなかった。パッカーズの選手は、高校の校舎をロッカールームとして使用していたが、ビジターチームの選手は試合前に宿泊しているホテル(通常はホテルノースランド英語版)で着替えることが多かった。収容人数は当初6,000人だったが、徐々に拡大され、25,000人にまでなった。パッカーズは、1929年1930年1931年1936年1939年1944年のNFLチャンピオンシップを含め、シティ・スタジアムで88勝41敗7分(0.673)の成績を収めた。

パッカーズは、世界恐慌が深刻化した1933年から、ホームゲームの一部をミルウォーキーで行うようになった。1933年にボーカート・フィールド英語版で1試合を行って以降、1934年から1951年まではウェストアリスステート・フェア・パーク英語版1952年マーケット・スタジアム英語版で、毎年2~3試合のホーム試合を開催していた。1953年ミルウォーキー・カウンティ・スタジアムがオープンして以降は、カウンティ・スタジアムで試合を行っており、これは1994年まで続いた[1]

1950年代になると、シティ・スタジアムがグリーンベイ東高校の敷地とイースト川に挟まれた限られた用地に建てられていたことから、これ以上の拡大ができなくなっていた。そのことがネックとなり、ジョージ・ハラスをはじめとしたNFLの首脳陣は、パッカーズの理事会宛てに、新スタジアムの建設か、ミルウォーキーへの本拠地移転かの判断を迫った。

1956年4月、グリーンベイ市民は、新スタジアム建設のための債券発行を70.3%の賛成で承認し、同年10月より建設が開始された。新しい「シティ・スタジアム」は1957年9月27日にオープンした。その後、1965年8月には、直前に亡くなったチーム創設者のカーリー・ランボーの名誉を称え、「ランボー・フィールド」と改称している。

パッカーズ移転後

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スタジアム入口

パッカーズが移転して以降、スタジアムの歴史を示すモニュメントなどが設置されている。2008年の改修前までは、イースト・スタジアムオールド・シティ・スタジアムなどと呼ばれることが多かった。

2005年には、第100回目となるグリーンベイ東高校対グリーンベイ西高校英語版グリーンベイ東西対抗フットボールゲーム英語版が行われた。試合には約8,000人の観客が詰め掛け、56対8で東高校が西高校に勝利した。

2007年7月31日、ランボー・フィールド開場50周年を記念し、パッカーズはシティ・スタジアムで練習を行った。

2008年夏、スタジアムの設備の多くが1960年代以前のもので、安全面に問題があったことから、プレスボックス、フィールドの観客席、ゴールポストなどが新しい設備へと改装された[2]。また、フィールドは2017年から人工芝となっている[2]。開場当初で今なお残っている設備は、スタジアムの角にある機材小屋のみとなっている。

アメリカンフットボール以外では、サッカーの試合も開催されている。2004年までは、グリーンベイ東高校とプレブル高校英語版がサッカープログラムを行っていた。

脚注

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前本拠地:
ベレビュー・パーク
1923 - 1924
グリーンベイ・パッカーズの本拠地
1925 - 1956
次本拠地:
ランボー・フィールド
1957 - 現在