シャルロット・ド・ブルボン=ヴァンドーム
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(シャルロット・ド・ブルボン=モンパンシエから転送)
シャルロット・ド・ブルボン=ヴァンドーム Charlotte de Bourbon-Vendôme | |
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称号 | オラニエ公妃 |
出生 |
1546/47年 |
死去 |
1582年5月5日 ネーデルラント連邦共和国、アントウェルペン |
埋葬 | ネーデルラント連邦共和国、アントウェルペン、聖母大聖堂 |
配偶者 | オラニエ公ウィレム1世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | ブルボン=モンパンシエ家 |
父親 | モンパンシエ公ルイ3世 |
母親 | ジャクリーヌ・ド・ロンウィ |
シャルロット・ド・ブルボン=ヴァンドーム(Charlotte de Bourbon-Vendôme)またはシャルロット・ド・ブルボン=モンパンシエ(Charlotte de Bourbon-Montpensier, 1546年または1547年 - 1582年5月5日)は、オラニエ公ウィレム1世の3度目の妃。
生涯
[編集]フランスのブルボン家傍系モンパンシエ公ルイ3世・ド・ブルボン=ヴァンドームと、妃ジャクリーヌ・ド・ロンウィの四女として生まれた。フランス王アンリ4世の父ヴァンドーム公アントワーヌの又従妹に当たる。
1575年、ブリーレ(現在のオランダ・南ホラント州)でウィレムと結婚した。夫との間に6女をもうけた。
- ルイーゼ・ユリアナ(1576年 - 1644年) - プファルツ選帝侯フリードリヒ4世妃
- エリーザベト(1577年 - 1642年) - ブイヨン公アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュの妻。テュレンヌ元帥の母となった。
- カタリーナ・ベルヒカ(1578年 - 1648年) - ハーナウ=ミュンツェンベルク伯フィリップ・ルートヴィヒ2世妃
- シャルロッテ・フランドリナ(1579年 - 1640年) - 1593年にカトリックに改宗し尼僧となった
- シャルロッテ・ブラバンティナ(1580年 - 1631年) - トゥアール公クロード・ド・ラ・トレモイユ妃。シャーロット・スタンリーの母
- エミリア・セクンダ・アントウェルピナ(1581年 - 1657年) - プファルツ=ランツベルク公フリードリヒ・カジミール妃
1582年、夫ウィレムが暗殺未遂事件に遭い、その看護をしている間に、シャルロットは急逝した。