プファルツ=ランツベルク
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- プファルツ=ランツベルク
- Pfalz-Landsberg
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← 1604年 - 1661年 → -
公用語 ドイツ語 首都 ランツベルク - 公
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1604年 - 1645年 フリードリヒ・カジミール 1645年 - 1661年 フリードリヒ・ルートヴィヒ - 変遷
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プファルツ=ツヴァイブリュッケンから分離し成立 1604年 プファルツ=ツヴァイブリュッケンに再統合 1661年
プファルツ=ランツベルク(ドイツ語:Pfalz-Landsberg)またはプファルツ=ツヴァイブリュッケン=ランツベルク(Pfalz-Zweibrücken-Landsberg)は、神聖ローマ帝国の公国(Herzogtum)。ランツベルク城(en)を本拠地とした。
歴史
[編集]プファルツ家の分家プファルツ=ランツベルク家が統治し、1661年にプファルツ=ツヴァイブリュッケンに再統合された[1]。
プファルツ=ランツベルクは1604年にプファルツ=ツヴァイブリュッケン公ヨハン1世の死後に創設された。ヨハン1世は3人の息子たちに領地を分割相続させた。フリードリヒ・カジミールはプファルツ=ランツベルクを、ヨハン・カジミールはプファルツ=クレーブルクを継承し、兄ヨハン2世はプファルツ=ツヴァイブリュッケンの大部分を継承した[1]。
ランツベルクは三十年戦争中に侵略され、破壊された。1645年、フリードリヒ・カジミールの跡を息子のフリードリヒ・ルートヴィヒが継いだが、1661年にプファルツ=ツヴァイブリュッケンに再統合された。
1681年、フリードリヒ・ルートヴィヒが嗣子なく死去した後、プファルツ=ツヴァイブリュッケン(すでにランツベルクを併合していた)はプファルツ=クレーブルク家のスウェーデン王家に継承された。
プファルツ=ランツベルク公
[編集]- フリードリヒ・カジミール(1604年 - 1645年)
- フリードリヒ・ルートヴィヒ(1645年 - 1661年)
1661年にフリードリヒ・ルートヴィヒはプファルツ=ツヴァイブリュッケン(ランツベルクを再統合)を継承し、1681年まで統治した。
脚注
[編集]- ^ a b Huberty, Michel; Giraud, Alain; Magdelaine, F. e B. (1985) (フランス語). L'Allemagne Dynastique, Tome IV Wittelsbach. Paris: Laballery. pp. 37-40. ISBN 2-901138-04-7