シャープール5世
表示
シャープーリ・シャフルヴァラーズ 𐭱𐭧𐭯𐭥𐭧𐭥𐭩𐭩 𐭧𐭱𐭨𐭥𐭥𐭥𐭰 | |
---|---|
イランと非イランの諸王の王 | |
在位 | 630年 |
家名 | サーサーン朝 |
父親 | シャフルバラーズ |
母親 | ホスロー2世の姉妹 |
宗教 | ゾロアスター教 |
シャープール5世、またはシャープーリ・シャフルヴァラーズ(パフラヴィー語: 𐭱𐭧𐭯𐭥𐭧𐭥𐭩𐭩 𐭧𐭱𐭨𐭥𐭥𐭥𐭰)は、サーサーン朝の簒奪者。630年に短期間統治したが、すぐに廃位されてアーザルミードゥフトが即位した。
略歴
[編集]サーサーン朝のスパーフベドで短期間シャーハンシャーにもなったシャフルバラーズの息子として生まれた。母はホスロー2世の姉妹だった[1]。630年にボーラーンが廃位されると即位したが、彼の即位を承認しなかったサーサーン貴族によって短期間で廃位された。後任は従姉妹のアーザルミードゥフトが即位した。貴族ファッルフ・ホルミズドはアーザルミードゥフトが即位すると彼女に求婚、シャープールも賛成したが、アーザルミードゥフトは拒否、シャープールが賛成したことに怒った[2]。その後のシャープールについては不明である。
脚注
[編集]- ^ Pourshariati 2008, p. 205.
- ^ Pourshariati 2008, p. 204.
参考文献
[編集]- Pourshariati, Parvaneh (2008). Decline and Fall of the Sasanian Empire: The Sasanian-Parthian Confederacy and the Arab Conquest of Iran. London and New York: I.B. Tauris. ISBN 978-1-84511-645-3。
シャープール5世
| ||
先代 ボーラーン |
サーサーン朝の君主 630年 |
次代 アーザルミードゥフト |