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シャーリー・エングルホーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャーリー・エングルホーン
Shirley Englehorn
基本情報
名前 シャーリー・エングルホーン
ニックネーム Dimples
生年月日 (1940-12-12) 1940年12月12日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アイダホ州コールドウェル
没年月日 (2022-10-02) 2022年10月2日(81歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コロラド州コロラドスプリングス
身長 170センチメートル (5.6 ft)
経歴
プロ転向 1959年
以前のツアー LPGAツアー(1959-79年)
プロ勝利数 12勝
優勝数
LPGAツアー 11勝
他ツアー 1勝
LPGAメジャー選手権最高成績
(優勝: 1勝)
女子ウェスタン 3位: 1967年
タイトルホルダーズ 6位タイ: 1964年
全米女子プロ 優勝: 1970年
全米女子OP 3位タイ: 1964年
デュモーリエ 52位タイ: 1979年
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シャーリー・ルース・エングルホーン(Shirley Ruth Englehorn、1940年12月12日[1] – 2022年10月2日)は、アメリカ合衆国の元女子プロゴルファー[2]LPGAツアーで、メジャー選手権の一つである1970年の全米女子プロゴルフ選手権を含む11勝をあげた[3]

アマチュア時代

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アイダホ州コールドウェルで生まれ育ち[1][4]、全米女子プロゴルフ協会(LPGA)の13人の創設者の1人シャーリー・スポーク英語版からゴルフを勧められ、1935年からは、PGAツアーで18勝を挙げ、全米プロゴルフ選手権の優勝経験もあるジョニー・レボルタ英語版に師事した。

1957年と1958年のマッコール・オープン、1957年から1959年までのアイダホ・オープン、1958年のパシフィック・ノースウェスト・アマチュアなど、多くのアマチュア大会・オープン大会で優勝。また、1959年にオレゴン・オープンを制し、ドロシー・ピース・トロフィーを史上最年少(15歳)で受賞した。

プロ転向後

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1958年にコールドウェル高校を卒業後、1959年に18歳でプロ転向、LPGAツアーに参戦した。1960年から1962年までスポケーンのアスレティック・ラウンド・テーブルから後援を受けた[1][5]。1960年3月にジョージアでキャリアを脅かしかねない馬術事故を起こしたが[6][7][8]、回復し1962年7月に21歳でマサチューセッツ州サットン英語版イースタン・オープン英語版で初優勝を飾った[1][5][9]。彼女はLPGAツアーで通算11勝をあげた。これにはサットンにおける3度目の勝利、キャシー・ウィットワースとのプレーオフを制した1970年の全米女子プロゴルフ選手権が含まれる[3]

1970年はシーズン4勝で最多勝利選手をものにした。その5年前の1965年には自動車事故で負傷し、シーズンの多くを棒に振っていた[1][10]。怪我からの復帰を称え、1968年初めにアメリカ・ゴルフ・ライター協会からベン・ホーガン賞を受賞した[11]。1971年と1973年に足首の手術を受けたが、いずれも競技への復帰に成功した。後にゴルフ・インストラクターになり、1978年にはLPGAティーチャー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。最後のLPGA出場は1979年であった[1]

2022年10月2日、コロラド州コロラドスプリングスペンローズ病院英語版にて81歳で死去[12]

プロ戦績

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LPGAツアー (11勝)

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凡例
LPGAメジャー選手権 (1勝)
その他のLPGAツアー (10勝)
No. 日付 トーナメント スコア ストローク差 2位の選手
1 1962年7月22日 イースタン・オープン英語版 +4 (74-77-75=226) 3打差 アメリカ合衆国の旗 メアリー・ミルズ
2 1962年9月9日 ユージーン・オープン英語版[13] -4 (75-69-79-69=292) 7打差 アメリカ合衆国の旗 ジャッキー・プン
3 1963年7月7日 レディ・カーリング・イースタン・オープン英語版 +4 (71-79-71=221) 2打差 アメリカ合衆国の旗 ジョアン・カーナー (a)
4 1964年8月9日 ウォータールー・女子オープン・インビテーショナル英語版 −5 (72-71-68=211) 4打差 アメリカ合衆国の旗 ルース・ジェッセン英語版
5 1966年5月22日 ベーブ・ザハリアス・オープン英語版 −1 (71-68-70=209) 2打差 アメリカ合衆国の旗 キャシー・ウィットワース
6 1967年9月17日 シャーリー・エングルホーン・インビテーショナル英語版 −3 (71-70-69=210) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 キャシー・ウィットワース
7 1968年8月10日 コンコード・オープン英語版 −2 (77-76-76=229) 3打差 アメリカ合衆国の旗 サンドラ・ヘイニー
8 1970年5月17日 ジョニー・ロンドフ・シボレー・トーナメント英語版 E (74-74-68=216) 2打差 アメリカ合衆国の旗 キャロル・マン
9 1970年5月31日 オサリバン・レディース・オープン英語版 −6 (71-68-71=210) プレーオフ オーストラリアの旗 マージー・マスターズ英語版
10 1970年6月7日 レディ・カーリング・オープン −9 (72-67-71=210) 1打差 アメリカ合衆国の旗 キャロル・マン
11 1970年6月13日 全米女子プロゴルフ選手権 −7 (70-70-75-70=285) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 キャシー・ウィットワース

LPGAツアー プレーオフの記録 (3勝2敗)

No. トーナメント 対戦相手 結果
1 1963年 ロック・シティ・レディース・オープン英語版 アメリカ合衆国の旗 バーバラ・ロマック英語版 3ホール目、相手パーで敗退
2 1966年 アラモ・レディース・オープン英語版 アメリカ合衆国の旗 サンドラ・ヘイニー 3ホール目、相手バーディーで敗退
3 1967年 シャーリー・エングルホーン・インビテーショナル英語版 アメリカ合衆国の旗 キャシー・ウィットワース 2ホール目パーで勝利
4 1970年 オサリバン・レディース・オープン英語版 オーストラリアの旗 マージー・マスターズ英語版 1ホール目バーディーで勝利
5 1970年 全米女子プロゴルフ選手権 アメリカ合衆国の旗 キャシー・ウィットワース 18ホールプレーオフに勝利
(エングルホーン: 74、ウィットワース: 78)

その他の勝利 (1勝)

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メジャー選手権

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勝利 (1勝)

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選手権 スコア ストローク差 2位の選手
1970年 全米女子プロゴルフ選手権 −7 (70-70-75-70=285) プレーオフ 1 アメリカ合衆国の旗 キャシー・ウィットワース

1 18ホールプレーオフに勝利、エングルホーン: 74、ウィットワース: 78

脚注

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  1. ^ a b c d e f Shirley Englehorn biography at about.com”. 2012年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月26日閲覧。
  2. ^ “Women golf pros tour”. The Age (Melbourne, Australia): p. 31. (April 11, 1972). https://news.google.com/newspapers?id=NMNUAAAAIBAJ&sjid=spADAAAAIBAJ&pg=5123%2C2188693 
  3. ^ a b “Shirley Englehorn wins playoff easily”. Spokesman-Review. Associated Press (Spokane, Washington): p. 13. (June 16, 1970). https://news.google.com/newspapers?id=KSBOAAAAIBAJ&sjid=Wu0DAAAAIBAJ&pg=7112%2C210442 
  4. ^ Missildine, Harry (August 11, 1960). “Shirley and friends visit Spokane”. Spokesman-Review (Spokane, Washington): p. 14. https://news.google.com/newspapers?id=DjRWAAAAIBAJ&sjid=z-cDAAAAIBAJ&pg=6764%2C3163672 
  5. ^ a b “Shirley Englehorn captures first professional golf win”. Spokesman-Review. Associated Press (Spokane, Washington): p. 9. (July 23, 1962). https://news.google.com/newspapers?id=gKBWAAAAIBAJ&sjid=uucDAAAAIBAJ&pg=6694%2C2274102 
  6. ^ “Shirley home to recuperate”. Spokane Daily Chronicle. UPI (Washington): p. 20. (April 27, 1960). https://news.google.com/newspapers?id=5ihYAAAAIBAJ&sjid=IfcDAAAAIBAJ&pg=7045%2C7058639 
  7. ^ Fraley, Oscar (May 10, 1961). “Miss Englehorn learned fighting spirit from Bantam Ben”. The Dispatch. UPI (Lexington, North Carolina): p. 12. https://news.google.com/newspapers?id=ZOIeAAAAIBAJ&sjid=YlEEAAAAIBAJ&pg=6225%2C3768289 
  8. ^ “Shirley visits home folks”. Spokesman-Review. Associated Press (Spokane, Washington): p. 14. (August 21, 1962). https://news.google.com/newspapers?id=MrFWAAAAIBAJ&sjid=8-gDAAAAIBAJ&pg=7082%2C1850699 
  9. ^ “Idaho miss gains win”. Spokane Daily Chronicle. Associated Press (Washington): p. 13. (July 23, 1962). https://news.google.com/newspapers?id=wa9YAAAAIBAJ&sjid=ZPcDAAAAIBAJ&pg=3776%2C5010081 
  10. ^ Missildine, Harry (June 13, 1966). “Tourney honors Shirley Englehorn”. Spokesman-Review (Spokane, Washington): p. 10. https://news.google.com/newspapers?id=aDlWAAAAIBAJ&sjid=xugDAAAAIBAJ&pg=4395%2C4374212 
  11. ^ “Miss Englehorn award winner”. Pittsburgh Press. UPI: p. 47. (December 27, 1967). https://news.google.com/newspapers?id=D8QbAAAAIBAJ&sjid=pU8EAAAAIBAJ&pg=3494%2C3359483 
  12. ^ “LPGA Pioneer Shirley Englehorn Dies At Age 81”. LPGA Tour. (October 4, 2022-10-04). https://www.lpga.com/news/2022/lpga-pioneer-shirley-englehorn-dies-at-age-81 2022年10月7日閲覧。 
  13. ^ Mullin, Bob (September 10, 1962). “Englehorn wins Open by 7 strokes”. Eugene Register-Guard (Oregon): p. 2B. https://news.google.com/newspapers?id=Xv1VAAAAIBAJ&sjid=8uIDAAAAIBAJ&pg=6693%2C1838428 

外部リンク

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