シャーリー・エングルホーン
Shirley Englehorn | |
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基本情報 | |
名前 | シャーリー・エングルホーン |
ニックネーム | Dimples |
生年月日 |
1940年12月12日 アメリカ合衆国 アイダホ州コールドウェル |
没年月日 |
2022年10月2日(81歳没) アメリカ合衆国 コロラド州コロラドスプリングス |
身長 | 170センチメートル (5.6 ft) |
経歴 | |
プロ転向 | 1959年 |
以前のツアー | LPGAツアー(1959-79年) |
プロ勝利数 | 12勝 |
優勝数 | |
LPGAツアー | 11勝 |
他ツアー | 1勝 |
LPGAメジャー選手権最高成績 (優勝: 1勝) | |
女子ウェスタン | 3位: 1967年 |
タイトルホルダーズ | 6位タイ: 1964年 |
全米女子プロ | 優勝: 1970年 |
全米女子OP | 3位タイ: 1964年 |
デュモーリエ | 52位タイ: 1979年 |
シャーリー・ルース・エングルホーン(Shirley Ruth Englehorn、1940年12月12日[1] – 2022年10月2日)は、アメリカ合衆国の元女子プロゴルファー[2]。LPGAツアーで、メジャー選手権の一つである1970年の全米女子プロゴルフ選手権を含む11勝をあげた[3]。
アマチュア時代
[編集]アイダホ州コールドウェルで生まれ育ち[1][4]、全米女子プロゴルフ協会(LPGA)の13人の創設者の1人シャーリー・スポークからゴルフを勧められ、1935年からは、PGAツアーで18勝を挙げ、全米プロゴルフ選手権の優勝経験もあるジョニー・レボルタに師事した。
1957年と1958年のマッコール・オープン、1957年から1959年までのアイダホ・オープン、1958年のパシフィック・ノースウェスト・アマチュアなど、多くのアマチュア大会・オープン大会で優勝。また、1959年にオレゴン・オープンを制し、ドロシー・ピース・トロフィーを史上最年少(15歳)で受賞した。
プロ転向後
[編集]1958年にコールドウェル高校を卒業後、1959年に18歳でプロ転向、LPGAツアーに参戦した。1960年から1962年までスポケーンのアスレティック・ラウンド・テーブルから後援を受けた[1][5]。1960年3月にジョージアでキャリアを脅かしかねない馬術事故を起こしたが[6][7][8]、回復し1962年7月に21歳でマサチューセッツ州サットンのイースタン・オープンで初優勝を飾った[1][5][9]。彼女はLPGAツアーで通算11勝をあげた。これにはサットンにおける3度目の勝利、キャシー・ウィットワースとのプレーオフを制した1970年の全米女子プロゴルフ選手権が含まれる[3]。
1970年はシーズン4勝で最多勝利選手をものにした。その5年前の1965年には自動車事故で負傷し、シーズンの多くを棒に振っていた[1][10]。怪我からの復帰を称え、1968年初めにアメリカ・ゴルフ・ライター協会からベン・ホーガン賞を受賞した[11]。1971年と1973年に足首の手術を受けたが、いずれも競技への復帰に成功した。後にゴルフ・インストラクターになり、1978年にはLPGAティーチャー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。最後のLPGA出場は1979年であった[1]。
2022年10月2日、コロラド州コロラドスプリングスのペンローズ病院にて81歳で死去[12]。
プロ戦績
[編集]LPGAツアー (11勝)
[編集]凡例 |
LPGAメジャー選手権 (1勝) |
その他のLPGAツアー (10勝) |
No. | 日付 | トーナメント | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
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1 | 1962年7月22日 | イースタン・オープン | +4 (74-77-75=226) | 3打差 | メアリー・ミルズ |
2 | 1962年9月9日 | ユージーン・オープン[13] | -4 (75-69-79-69=292) | 7打差 | ジャッキー・プン |
3 | 1963年7月7日 | レディ・カーリング・イースタン・オープン | +4 (71-79-71=221) | 2打差 | ジョアン・カーナー (a) |
4 | 1964年8月9日 | ウォータールー・女子オープン・インビテーショナル | −5 (72-71-68=211) | 4打差 | ルース・ジェッセン |
5 | 1966年5月22日 | ベーブ・ザハリアス・オープン | −1 (71-68-70=209) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
6 | 1967年9月17日 | シャーリー・エングルホーン・インビテーショナル | −3 (71-70-69=210) | プレーオフ | キャシー・ウィットワース |
7 | 1968年8月10日 | コンコード・オープン | −2 (77-76-76=229) | 3打差 | サンドラ・ヘイニー |
8 | 1970年5月17日 | ジョニー・ロンドフ・シボレー・トーナメント | E (74-74-68=216) | 2打差 | キャロル・マン |
9 | 1970年5月31日 | オサリバン・レディース・オープン | −6 (71-68-71=210) | プレーオフ | マージー・マスターズ |
10 | 1970年6月7日 | レディ・カーリング・オープン | −9 (72-67-71=210) | 1打差 | キャロル・マン |
11 | 1970年6月13日 | 全米女子プロゴルフ選手権 | −7 (70-70-75-70=285) | プレーオフ | キャシー・ウィットワース |
LPGAツアー プレーオフの記録 (3勝2敗)
No. | 年 | トーナメント | 対戦相手 | 結果 |
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1 | 1963年 | ロック・シティ・レディース・オープン | バーバラ・ロマック | 3ホール目、相手パーで敗退 |
2 | 1966年 | アラモ・レディース・オープン | サンドラ・ヘイニー | 3ホール目、相手バーディーで敗退 |
3 | 1967年 | シャーリー・エングルホーン・インビテーショナル | キャシー・ウィットワース | 2ホール目パーで勝利 |
4 | 1970年 | オサリバン・レディース・オープン | マージー・マスターズ | 1ホール目バーディーで勝利 |
5 | 1970年 | 全米女子プロゴルフ選手権 | キャシー・ウィットワース | 18ホールプレーオフに勝利 (エングルホーン: 74、ウィットワース: 78) |
その他の勝利 (1勝)
[編集]- 1964年 ヘイグ&ヘイグ・スコッチ・フォアサム (サム・スニードと)
メジャー選手権
[編集]勝利 (1勝)
[編集]年 | 選手権 | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
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1970年 | 全米女子プロゴルフ選手権 | −7 (70-70-75-70=285) | プレーオフ 1 | キャシー・ウィットワース |
1 18ホールプレーオフに勝利、エングルホーン: 74、ウィットワース: 78
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “Shirley Englehorn biography at about.com”. 2012年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月26日閲覧。
- ^ “Women golf pros tour”. The Age (Melbourne, Australia): p. 31. (April 11, 1972)
- ^ a b “Shirley Englehorn wins playoff easily”. Spokesman-Review. Associated Press (Spokane, Washington): p. 13. (June 16, 1970)
- ^ Missildine, Harry (August 11, 1960). “Shirley and friends visit Spokane”. Spokesman-Review (Spokane, Washington): p. 14
- ^ a b “Shirley Englehorn captures first professional golf win”. Spokesman-Review. Associated Press (Spokane, Washington): p. 9. (July 23, 1962)
- ^ “Shirley home to recuperate”. Spokane Daily Chronicle. UPI (Washington): p. 20. (April 27, 1960)
- ^ Fraley, Oscar (May 10, 1961). “Miss Englehorn learned fighting spirit from Bantam Ben”. The Dispatch. UPI (Lexington, North Carolina): p. 12
- ^ “Shirley visits home folks”. Spokesman-Review. Associated Press (Spokane, Washington): p. 14. (August 21, 1962)
- ^ “Idaho miss gains win”. Spokane Daily Chronicle. Associated Press (Washington): p. 13. (July 23, 1962)
- ^ Missildine, Harry (June 13, 1966). “Tourney honors Shirley Englehorn”. Spokesman-Review (Spokane, Washington): p. 10
- ^ “Miss Englehorn award winner”. Pittsburgh Press. UPI: p. 47. (December 27, 1967)
- ^ “LPGA Pioneer Shirley Englehorn Dies At Age 81”. LPGA Tour. (October 4, 2022-10-04) 2022年10月7日閲覧。
- ^ Mullin, Bob (September 10, 1962). “Englehorn wins Open by 7 strokes”. Eugene Register-Guard (Oregon): p. 2B
外部リンク
[編集]- シャーリー・エングルホーン - 全米女子プロゴルフ協会のプロフィール
- エングルホーン・ファミリーサイトのページ