シャーンドル宮殿
シャーンドル宮殿 Sándor-palota | |
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南側ファサード | |
情報 | |
用途 | ハンガリー大統領官邸 |
設計者 |
ポラック・ミハーリ アマン・ヨハン |
建築主 | シャーンドル・ヴィンス伯爵 |
構造形式 | 新古典主義建築 |
状態 | 完成 |
階数 | 2階[1] |
着工 | 1803年頃 |
改築 | 1989年 |
所在地 | ハンガリー、ブダペスト、ヴァールケルレト地区 |
座標 | 北緯47度29分52秒 東経19度2分18秒 / 北緯47.49778度 東経19.03833度座標: 北緯47度29分52秒 東経19度2分18秒 / 北緯47.49778度 東経19.03833度 |
シャーンドル宮殿(ハンガリー語: Sándor-palota)は、ハンガリーのブダペストにある大統領官邸・公邸。
かつてはシャーンドル伯爵家(Sándor család)の邸宅であった。城内周辺はブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通りの一部として、世界遺産になっている。
歴史
[編集]シャーンドル・ヴィンス伯爵が1803年頃に建てたとされているが、詳しくは分からない。国家宰相であったクレメンス・フォン・メッテルニヒ侯爵の娘婿・シャーンドル・モーリツもここで生誕している。1831年には宮殿がシャンドール伯爵家からイタリアのパッラヴィチーニ家の手に渡った。ハンガリー革命時には、アルブレヒト・フォン・エスターライヒ=テシェンが居住している。
ハンガリー王国首相であったアンドラーシ・ジュラが1867年にパッラヴィチーニ家から購入し、宮殿に居住してから50年に渡って首相官邸として活用された。居住する際に1階を執務室、2階が住居に改装している[2]。
1941年には時の首相だったテレキ・パールはナチズムへの加担を怖れて、この宮殿でピストル自殺を遂げた。1944年のブダペスト包囲戦では、赤軍の爆撃で宮殿全体が破壊された。宮殿内にあった美術品は連合軍に全て没収され、宮殿は廃墟同然と化した。
1989年の東欧革命後に再建が行われ、現在の宮殿は2002年に完成した。同年にオルバーン・ヴィクトル首相が居住する予定だったが、メッジェシ・ペーテルが後任の首相となった為、断念した。しかし、ペーテルも宮殿への居住を拒否したことから、再度首相官邸になることはなかった。
代わりとして大統領であったマードル・フェレンツが2002年1月22日に居住して以降、現在に至るまで大統領官邸として使用されている[3]。
写真
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宮殿内部
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衛兵交代式
脚注
[編集]- ^ “murmlekem Magyarország palota”. 2024年3月5日閲覧。
- ^ “The History of the Sándor Palace”. keh.hu. 2013年3月25日閲覧。
- ^ “Sandorpalota”. 2024年3月5日閲覧。