シュリーナガル (ウッタラーカンド州)
シュリーナガル श्रीनगर | |
---|---|
座標:北緯30度13分 東経78度47分 / 北緯30.22度 東経78.78度座標: 北緯30度13分 東経78度47分 / 北緯30.22度 東経78.78度 | |
国 | インド |
州 | ウッタラーカンド州 |
県 | パウリー・ガルワール県 |
標高 | 560 m |
人口 (2012) | |
• 合計 | 150,000人 |
等時帯 | UTC+5:30 (インド標準時) |
PIN |
246174 |
市外局番 | 01346-2 |
ナンバープレート | UK 12 xx xxxx |
ウェブサイト |
uk |
シュリーナガル (ヒンディー語: श्रीनगर, 英語: Srinagar) は、インドのウッタラーカンド州パウリー・ガルワール県の県都である。
位置
[編集]シュリーナガルは、北緯30度13分 東経78度47分 / 北緯30.22度 東経78.78度 にあり[1]、アラクナンダー川左岸に位置する。平均標高は560mである。ガルワール・ヒマラヤ山脈最大の都市である。ウッタラーカンドの平野部と山岳部の間の都市であるリシケーシュからは100kmの距離にあり、国道58号線が通じている。
人口
[編集]2007年のインド国勢調査によると[2]、シュリーナガルの人口は8万人であり、男性が55%、女性が45%を占めていた。シュリーナガルの平均識字率は83%で、国の平均である59.5%よりも高い。男性の識字率は86%、女性は79%である。シュリーナガルでは人口の18%が6歳未満である。
2012年の国勢調査では、人口は15万人で、男性が52%、女性が48%だった。シュリーナガルはガルワール山地最大の都市であるだけでなく、今やウッタラーカンド州最大の都市でもある。シュリーナガルはまたウッタラーカンド州の教育都市でもある。
歴史
[編集]シュリーナガルはガルワール王国の首都になってから脚光を浴びた。1506年から1512年の間にアジャイパール王はこの地域のさまざまな首長やガリー(小国)を統一してガルワール王国を建国し、首都をチャーンドプル・ガリーからシュリーナガルに移した。
ゴルカ王国はネパール王に勝利してカトマンズを占領すると大胆になり、1803年には西方のクマーウーンとガルワールを攻撃した。ガルワールのプラディユマン・シャー王は敗北して1804年1月に殺された。シュリーナガルは1806年から1815年までゴルカに支配された。グルカ戦争でゴルカがイギリスに敗北すると、スガウリ条約でシュリーナガルはイギリス領ガルワールの一部になった[3]。
古いシュリーナガルの町は1894年の天然ダム崩壊(Gohna Lake dam-burst)によって破壊され、古跡はすべて失われた。今日、シュリーナガルは文化・教育の中心的都市である。
気候
[編集]シュリーナガルは標高が560mと低いため、ガルワール山地では夏の暑さがもっとも厳しく、5月から7月の間は最高気温が摂氏45度に達することもある。冬は寒く、12月から1月の間は摂氏2度まで下がる。
脚注
[編集]- ^ Falling Rain Genomics, Inc - Srinagar
- ^ “Census of India 2001: Data from the 2001 Census, including cities, villages and towns (Provisional)”. Census Commission of India. 2004年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月1日閲覧。
- ^ Negi, S. S. 2003. Srinagar- A Historical township, In Sovenier of 20th Convention of Indian Association of Sedimentologist,pp- 29 Srinagar Garhwal