シュワッチうるとらレスキュー隊
シュワッチうるとらレスキュー隊 (シュワッチうるとらレスキュー帯) ↓ ハイスクールレスキュー隊 | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 → 収録 |
放送期間 |
1988年4月9日 - 1992年4月3日 (『ハイスクールレスキュー隊』:1992年4月6日 - 1993年4月2日) |
放送時間 |
土曜日 21:00 - 23:30 → 月曜 - 金曜 22:10 - 22:20 → 月曜 - 金曜 22:00 - 22:20 → 月曜 - 金曜 22:10 - 22:30 |
放送局 | 長崎放送(NBCラジオ) |
制作 | 長崎放送 |
パーソナリティ |
植草結樹 久保田みどり 松原佳子 |
提供 |
NTT (1991年4月 - 1992年4月) |
シュワッチうるとらレスキュー隊(シュワッチうるとらレスキューたい)は、長崎放送(NBCラジオ)の夜の時間帯で放送されていた、ラジオの若者向けバラエティ番組。略称は「シュワとら」[1]。
放送期間は1988年4月9日から1992年4月3日まで。なお本項では、タイトルが若干変更された「シュワッチうるとらレスキュー帯」( - たい)、本番組の後継として1992年4月6日から1993年4月2日まで放送された「ハイスクールレスキュー隊」についても説明。
概要
[編集]1988年4月に毎週土曜日21:00 - 23:30の2時間30分のワイド番組枠で放送開始。1987年末頃から自社制作の生放送ワイド番組の企画を進め、企画はほぼ固まっているがいいタイトルが出てこない悩んでいたところ、当時長崎放送アナウンサーの植草結樹が「ウルトラマンのノリで“シュワッチ”てのを使おう」と発言し、この一言からタイトルが決まっていったとのこと[1]。そしてその植草がそのまま本番組に「隊長」としてメインパーソナリティに就き、当時共に入社1年目の新人アナウンサーだった[2]久保田みどり、松原佳子の2人が「隊員」として隔週出演するという体制で始まった[1]。土曜日夜のワイド番組時代は「NBCビートアップステーション」というサブタイトルが付いていた[3][1]。
はがきやメッセージが採用されたリスナーには、番組オリジナルグッズ(シール、頭陀袋、下敷きなど)が贈られた[4]。
1990年3月24日に放送100回を迎え、記念してこの日はアマチュアバンドの演奏、リスナー参加のDJ大会など多くのイベントが行われた[5]。
1990年4月改編でそれまで本番組を放送してきた時間帯に『中山美穂 P.S. I LOVE YOU』(ニッポン放送制作)などのネット番組を入れるなど編成の変更により、2時間30分のワイド番組から平日(月曜日 - 金曜日)夜10時台放送の10分の帯番組にリニューアル、タイトルも帯番組になったことから『シュワッチうるとらレスキュー帯』と若干変更された[6][7]。同時に植草が本番組を離れて久保田みどりが隊長としてメインパーソナリティに就き、この体制は本番組の終了まで続いた。
1991年4月改編で放送枠を拡大し、20分の帯番組に。これと同時にタイトルが元の『シュワッチうるとらレスキュー隊』に戻って更にNTTの一社提供番組になり[8]、日替わりコーナーの中にNTT社員が参加してパソコン通信や留守番電話を使用するコーナーがスタートした[9]。
1992年4月改編で久保田パーソナリティのままタイトルを『ハイスクールレスキュー隊』に変更して再度リニューアル。ハイスクールレスキュー隊になってからの当初は野田ゼミナールの一社提供で放送されていた[10]。
放送時間
[編集]- シュワッチうるとらレスキュー隊
- 毎週土曜日 21:00 - 23:30 (1988年4月9日 - 1990年3月)
- 毎週月曜日 - 金曜日 22:10 - 22:20 (1990年4月 - 1991年3月)
- 毎週月曜日 - 金曜日 22:00 - 22:20 (1991年4月 - 1992年4月3日)
- ハイスクールレスキュー隊
- 毎週月曜日 - 金曜日 22:10 - 22:30 (1992年4月6日 - 1993年4月2日)
パーソナリティ
[編集]全員が当時の長崎放送アナウンサー。
主なコーナー
[編集]土曜日時代
[編集]- 飛び出せ迷惑レスキュー隊
-
- スタジオを飛び出して外に出て、隊員(久保田、松原)が道行く人々に無理難題を振り、その模様を放送[1]。
- うるとらミュージックの素
- 久保田とデート
-
- 1988年秋~冬頃放送されていた、久保田みどりメインのコーナー[1]。
- こちらCM制作班
-
- 1988年秋からレギュラーコーナー化。松原佳子が班長を務めた[1]。
- ハゼドン調査室なんでもBEST3
-
- 1989年秋からスタート。街に飛び出した調査員・スタッフらが毎回決められたテーマに沿って人々にインタビューを行い、その結果をまとめて何でもありのコンセプトの元、勝手にベスト3を決定[11]。
- あー花の応援団
-
- 1989年秋からスタート。依頼者たった一人のためにレスキュー隊員が作った歌をプレゼント[11]。
帯番組時代
[編集]1990年4月時点
[編集]- シュワッチうるとらマガジン / フリーコーナー
-
- 金曜日。毎週決められたテーマに沿ってはがきを募集[6]。
- 上記土曜日時代のコーナーのうち、「ハゼドン調査室なんでもBEST3」を月曜日コーナー、「君の瞳にストレート」を木曜日コーナーとしてそれぞれ継続[6]。
- 他
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i ラジオパラダイス 1988年12月号「中波四十七局全国行脚記録帳 NBC長崎放送の巻」p.88
- ^ ラジオパラダイス 1988年6月号「全国新人アナウンサー特集」p.15
- ^ a b c ラジオ新番組速報版 1988年春号〜1989年秋号 長崎放送番組表
- ^ ラジオパラダイス 1989年7月号「ローカルネットワーク」p.72
- ^ a b ラジオパラダイス 1990年4月号「ローカルネットワーク」p.82
- ^ a b c d e ラジオパラダイス 1990年5月号「ホット・インフォメーション」p.78
- ^ ラジオ新番組速報版 1990年春号〜1990年秋号 長崎放送番組表
- ^ ラジオ新番組速報版 1991年春号〜1991年秋号 長崎放送番組表
- ^ ラジオ新番組速報版 1991年春号「春の新番組完全ガイド」p.17
- ^ ラジオ新番組速報版 1992年春号 長崎放送番組表
- ^ a b c d ラジオパラダイス 1989年12月号「ローカルネットワーク」p.82
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シュワッチうるとらレスキュー隊
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