シルヴェストレ・ヴァレラ
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名前 | ||||||
本名 |
シルヴェストレ・マヌエル・ゴンサルヴェス・ヴァレラ Silvestre Manuel Gonçalves Varela | |||||
ラテン文字 | Silvestre Varela | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ポルトガル カーボベルデ | |||||
生年月日 | 1985年2月2日(39歳) | |||||
出身地 | アルマダ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (WG) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-2001 | ペスカドレス | |||||
2001-2004 | スポルティングCP | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | スポルティングCP | 2 | (0) | |||
2004-2005 | → カーザ・ピア (loan) | 36 | (11) | |||
2006-2007 | → ヴィトーリア・セトゥーバル (loan) | 45 | (4) | |||
2007-2008 | → レクレアティーボ (loan) | 22 | (0) | |||
2008-2009 | エストレラ・アマドーラ | 28 | (5) | |||
2009-2017 | ポルト | 141 | (34) | |||
2014-2015 | → WBA (loan) | 7 | (1) | |||
2015 | → パルマ (loan) | 19 | (3) | |||
2017-2019 | カイセリスポル | 55 | (3) | |||
2019-2021 | ベレネンセスSAD | 52 | (3) | |||
2021-2023 | ポルトB | 41 | (4) | |||
通算 | 449 | (70) | ||||
代表歴 | ||||||
2005-2007 | ポルトガル U-21 | 28 | (6) | |||
2010-2015 | ポルトガル | 28 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
シルヴェストレ・マヌエル・ゴンサルヴェス・ヴァレラ(Silvestre Manuel Gonçalves Varela, 1985年2月2日 - )は、ポルトガル共和国セトゥーバル県アルマダ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW (WG) 。
経歴
[編集]スポルティング
[編集]2002年からスポルティングCPのユースチームに所属し、2005年にトップチーム昇格。プロ生活を開始してから早い時期にカサ・ピアACとヴィトーリアFCへレンタル移籍した。U-21ポルトガル代表の主力選手として様々な大会でプレーするも、スポルティングでは2005-06シーズンに2試合途中出場しただけと、ファーストチームで居場所を見つけることが出来なかった。
2007-08シーズンのヴァレラは、スポルティングの同僚ベトとカルロス・マルティンスと共にスペインのレクレアティーボ・ウェルバでプレーした(ヴァレラは3度目のレンタル移籍)。リーガ・エスパニョーラでは、十分なプレー時間を与えられたにもかかわらず失望のシーズンに終わり、2008年7月にスポルティングへ復帰するも直後にCFエストレラ・アマドーラへ売却された。
ポルト
[編集]2008-09シーズン終了直前の2009年3月、エストレラで良いプレーを見せるもチームが降格したことにより、ヴァレラは自由移籍でFCポルトと4年契約(2009年7月からスタート)を結んだ[1]。
ポルトでの最初のシーズンは、コロンビア代表ストライカーのラダメル・ファルカオに次ぐチーム2位の得点を挙げ好調だったものの、2010年3月の練習中に腓骨を負傷したことによりシーズンを終了[2]。チームも3位に終わった。
2010-11シーズンは、アンドレ・ビラス・ボアス監督の下でファルカオとフッキと共に3トップを形成し、カップ, UEFAヨーロッパリーグ 2010-11, そしてリーグ戦では1部でキャリアトップとなる10ゴールを決め、無敗優勝の偉業達成とトレブルに大きく貢献した。
しかし、2011-12シーズンにビトール・ペレイラが新監督に就任すると、ヴァレラは2人のポルトガル代表選手のベト, ルベン・ミカエルのようにファーストチームでは重要視されなくなり、ハメス・ロドリゲスにポジションを奪われていった。2012年2月16日、UEFAヨーロッパリーグ 2011-12ラウンド32第1戦マンチェスター・シティFCをホームに迎えた試合で珍しくスタメン出場すると、先制ゴールを決めたが1-2で逆転負けした[3]。
2014年8月24日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCにレンタル移籍したが[4]、出場機会に恵まれず、2015年1月20日にパルマFCへレンタル移籍した[5]。
代表歴
[編集]2010年3月3日、コインブラで行われた中国との親善試合で後半から出場。2-0でA代表デビュー戦を勝利で飾った。2011年3月26日のレイリアで1-1で引き分けたチリとの親善試合で代表初得点を記録[6]。
パウロ・ベント監督の下でUEFA EURO 2012に臨む23名にも選出された。初戦のドイツ戦で1点のビハインドを追う中、残り10分のところでラウール・メイレレスに代わりピッチに入るも、そのまま追いつけず0-1で敗北した[7]。グループリーグ第2戦のデンマーク戦では同点とされた直後に再びメイレレスに代わり後半39分から途中出場すると、その3分後に最初のボールタッチから決勝ゴールを挙げポルトガルの大会初勝利に貢献し、グループリーグ突破に望みを繋げた[8][9]。
2014 FIFAワールドカップグループリーグ第2戦のアメリカ戦では、後半途中から出場し、ロスタイムに同点ゴールを挙げポルトガルを敗退の危機から救った。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FCポルト
- UEFAヨーロッパリーグ 2010-11
- スーペル・リーガ 2010-11, 2011-12, 2012-13
- タッサ・デ・ポルトガル 2009-10, 2010-11
- ポルトガル・スーパーカップ 2009, 2010, 2011, 2012, 2013
出典
[編集]外部リンク
[編集]- ポルトガルのサッカー選手
- カーボベルデのサッカー選手
- サッカーポルトガル代表選手
- スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルの選手
- カーザ・ピアACの選手
- ヴィトーリアFC (ポルトガル) の選手
- レクレアティーボ・ウェルバの選手
- CFエストレラ・アマドーラの選手
- FCポルトの選手
- ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCの選手
- パルマ・カルチョ1913の選手
- カイセリスポルの選手
- FCポルトBの選手
- UEFA EURO 2012出場選手
- FIFAワールドカップポルトガル代表選手
- 2014 FIFAワールドカップ出場選手
- 在スペイン・ポルトガル人
- 在イギリス・ポルトガル人
- カーボベルデ系ポルトガル人
- セトゥーバル出身の人物
- 1985年生
- 存命人物