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シンシア・ジェリ・バイレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シンシア・ジェリ・バイレ(Cynthia Njeri Mbaire,2002年12月27日 - 2023年4月14日)は、ケニア出身の陸上競技選手[1]

生涯

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2002年12月27日生まれ。ケニア出身[2]。2018年に鹿児島県神村学園初等部・中等部・高等部に留学生として来日し、2019年、全国高等学校総合体育大会において1500メートル競走で優勝、3000メートル競走で2位であった[3][4]2019年の全国高等学校駅伝競走大会では2区を走り、14位でタスキを受け取ると区間2位の快走で13人抜きを果たした[5][6]。また2020年の全国高等学校駅伝競走大会では最終5区を任され、途中で足を痛めて失速したものの区間2位の走りを見せた(なお、どちらの年も区間1位は、区間記録を更新した広島県世羅高校のテレシア・ムッソーニ)[7][6][8]

2021年春に日立製作所に入社し、実業団である日立女子陸上競技部で陸上競技を続けた。日立製作所に在籍すると同時に、2020年秋に神村学園に入学した後輩のカリバ・カロラインの教育係として、1年間神村学園に残った[6]。2023年の全国高等学校駅伝競走大会で同校が優勝した際には、有川哲蔵監督が

シンシアがカロラインを育てて、カロラインが日本人選手を育ててくれた。シンシアの財産です。シンシアが最後、見守ってくれたのかな — 有川哲蔵[9]

とコメントしている。

2022年5月に鼻の悪性腫瘍にかかり、2023年4月14日に千葉県内の病院にて20歳で死去[3][10]

出典

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  1. ^ 日立女子陸上競技部-バイレ シンシア ジェリ
  2. ^ クイーンズ駅伝2022”. TBSテレビ. 2023年6月7日閲覧。
  3. ^ a b “M・シンシアさん死去 日立女子陸上部選手”. 産経新聞. (2023年4月20日). https://www.sankei.com/article/20230420-6NLBRVFH7BIZZHUYRIWRP7T3LM/ 2023年6月7日閲覧。 
  4. ^ “日立のバイレ・シンシア選手が病気のため死去 20歳 神村学園高時代にインターハイ1500m優勝、駅伝でも活躍”. 月刊陸上競技. (2023年4月20日). https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/99144 2023年6月7日閲覧。 
  5. ^ 第31回女子大会記録”. 2024年7月11日閲覧。
  6. ^ a b c 先輩のことばを胸に 都大路に挑む神村学園の留学生」『NHK鹿児島放送局』2023年12月22日。2024年7月11日閲覧。
  7. ^ 第32回女子大会記録”. 2024年7月11日閲覧。
  8. ^ 鈴木英世「神村学園、逆転され2位 泣き崩れたアンカー レース中に足痛め 高校駅伝」『毎日新聞』2020年12月20日。2024年7月11日閲覧。
  9. ^ 監督も「改めてすごさ感じた」神村学園の大逆転Vを呼んだカリバ・カロライン 20歳で逝った先輩の財産生かした主将【全国高校駅伝女子】」『西スポWEB OTTO!』2023年12月24日。2024年7月11日閲覧。
  10. ^ 全国高校駅伝で活躍 鹿児島・神村学園出身のバイレ・シンシア選手(20)死去 (23/04/21 19:50)”. 鹿児島ニュースKTS. 2023年6月7日閲覧。

外部リンク

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