シンプリチウスとファウスティヌスとベアトリス
シンプリチウスとファウスティヌスとベアトリス | |
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シンプリチウスとファウスティヌスの殉教 | |
死没 | 302/3年 |
崇敬する教派 | カトリック教会 |
主要聖地 | サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 |
記念日 | 7月29日 |
シンプリチウス(Simplicius)とファウスティヌス(Faustinus)、そしてベアトリス(Beatrice)は、カトリック教会の聖人[注 1]及び殉教者(302年または303年没[2][注 2])である。記念日は7月29日。シンプリチウスはシンプリキウス、シンプリキアヌス(Simplicianus)、ベアトリスはベアトリクス(Beatrix)、ウィアトリクス(Viatrix)とも表記される[3]。
生涯
[編集]次のような聖人伝が伝えられている。
シンプリチウスとファウスティヌスはディオクレティアヌス統治下のローマ帝国において、拷問を受け、こん棒で殴られたのちに斬首され、遺体はテヴェレ川に投げ込まれて殉教した[2][注 3]。妹のベアトリスは彼らの遺体を川から引き上げ、埋葬した。そののち7ヵ月ほど、ベアトリスはルキナ (Lucina) という敬虔なキリスト教徒と隠れて暮らしていたが[2]、兄弟の領地を狙っていた都長官のルクレティウスはベアトリスを捕縛し、非キリスト教の神[注 4]に捧げものをするように命じ、彼女が断るとその夜のうちに兵士に命じて絞殺させた。ルキナは彼女の遺体を盗み出し、2人の兄弟とともに埋葬した[2][注 6]。 領地を手に入れたルクレティウスは宴会を催し、殉教者たちを笑いものにしていたが、その場にいた赤ん坊が「都長官は人を殺して領地を奪った。悪魔の手に落ちた」[注 7]と叫ぶと、ルクレティウスは悪魔に取りつかれ苦しみ死んだ[6]。
これらの聖人伝の他に、3人についての記録は残されていない[1][5]。
聖遺物
[編集]ローマ郊外の地下墓地に3人の姿が描かれているフレスコ画がある墓があり、保存されている[1]。また、レオ2世によって彼らの聖遺物は聖パウロ教会に移され安置されたが、のちに聖遺物の大半はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に運ばれた[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ カトリック教会においてシンプリチウスとファウスティヌスは聖人、ベアトリスは福者とされる[1]。
- ^ 287年頃とも[1]。
- ^ 石を巻き付けられ川に沈められたとも伝えられている。
- ^ Catholic Encyclopediaにおいては悪魔とも[2]。
- ^ Via Portuensis 街道[4]。
- ^ Portoに向かう街道[注 5]の途中にある"Ad Ursum Pileatum"という墓地に埋葬された。
- ^ (原文)"Thou hast committed murder and hast taken unjust possession of land. Thou art a slave of the devil."[5]
出典
[編集]参考文献
[編集]- Charles George Herbermann. The Catholic Encyclopedia: Complete Vol. 1-15 (With Active Table of Contents) (English Edition) Kindle版 ASIN B005ZUXBY2, "Simplicius, Faustinus and Beatrix"の項
- ヤコブス・デ・ウォラギネ、前田 敬作(訳)、西井 武(訳)、2006、『黄金伝説3』、平凡社〈平凡社ライブラリー〉 ISBN 978-4582765823
- Rev. Alban Butler (1866年). “July 29 SS. Simplicius and Faustinus, Brothers, and Beatrice, Their Sister, Martyrs 『Volume V: July. The Lives of the Saints.』”. 2015年9月24日閲覧。
- “LacusCurtius / Ad Ursum Pileatum, A Topographical Dictionary of Ancient Rome, London: Oxford University Press, (Platner & Ashby, 1929)”. 2015年9月24日閲覧。
外部リンク
[編集]Herbermann, Charles, ed. (1913). Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company.
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