シーフォード男爵
シーフォード男爵 Baron Seaford | |
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Arms:Erminois a Cross Sable charged with five Crescents Argent Crest:On a Mount Vert a Goat's Head erased Argent Supporters:On either side a Lion Argent charged on the neck with three Trefoils slipped Vert within a Collar Gules
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創設時期 | 1826年7月1日 |
創設者 | ジョージ4世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵チャールズ・エリス |
現所有者 | 6代男爵コリン・エリス |
付随称号 | なし |
現況 | 存続 |
モットー | 誰がなしたかではなく、 いかにしてなしたか (Non Quo Sed Quomodo) |
シーフォード男爵(英: Baron Seaford)は、イギリスの男爵、貴族。連合王国貴族爵位。
2020年現在、シーフォード男爵エリス家は男爵以外の爵位を持たない。
歴史
[編集]チャールズ・エリス(1771-1845)はジャマイカの砂糖プランテーションを経営する一族に生まれた。彼は渡英ののちオックスフォード大学に進学、在英不在農園主となった[1][2]。エリスは1793年より庶民院議員を務めたのち、1826年7月1日にサセックス州シーフォードのシーフォード男爵(Baron Seaford, of Seaford in the County of Sussex)に叙されて貴族院に転じた[1][3][4][5]。
その長男チャールズ・オーガスタス(1799-1868)は1803年に母方の曽祖父たる第4代ブリストル伯爵から古いイングランド貴族爵位「ハワード・ド・ウォルデン男爵」を継承した[註釈 1][3][6][7]。彼は1845年にも父からシーフォード男爵を相続したため、以降は5代男爵まで両男爵位は継承権者を一にする[6]。また、チャールズはポートランド公爵家令嬢ルーシーと結婚したため、結果的にロンドンの一等地メリルボーンの地所が男爵家にもたらされることとなった[6][8]。
その子である3代男爵フレデリック(1830-1899)の代に、男爵家は「英国随一の裕福な貴族」と評された[9]。フレデリックののちは、その息子トマスが爵位を襲った[6]。
4代男爵トマス(1880-1946)は1917年に勅許を得て、その家名に祖母の姓「スコット(Scott)」を加えている[10]。
5代男爵ジョン(1912-1999)が男子なく死去すると、シーフォード男爵は2代男爵の次男の子孫に遡って、親族のコリンが継承した[註釈 2][4][6]。他方、ハワード・ド・ウォルデン男爵はジョンの4人の娘の間で停止したが、2004年に長女メアリー・ヘイゼル(1935-)に帰属する形で解消された[6]。
その6代男爵コリン(1946-)が2020年現在の男爵家現当主である。
シーフォード男爵(1826年)
[編集]- 初代シーフォード男爵チャールズ・ローズ・エリス (1771–1845)
- 第2代シーフォード男爵チャールズ・オーガスタス・エリス (1799–1868) (1803年以降、ハワード・ド・ウォルデン男爵を継承)
- 第3代シーフォード男爵フレデリック・ジョージ・エリス (1830–1899)
- 第4代シーフォード男爵トマス・イヴリン・スコット=エリス (1880–1946)
- 第5代シーフォード男爵ジョン・オズマエル・スコット=エリス (1912–1999) (1999年以降、ハワード・ド・ウォルデン男爵分離)
- 第6代シーフォード男爵コリン・ハンフリー・フェルトン・エリス (1946-)
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ 1803年に第4代ブリストル伯爵が死去した際、彼には次男とその孫息子が存命であったにもかかわらず、長男の女系の孫息子にあたるチャールズに男爵位が帰属する形となった。
なお、ブリストル伯爵は次男が相続している。 - ^ 6代男爵コリンは、2代男爵の次男ウィリアムの曾孫にあたる。
出典
[編集]- ^ a b “ELLIS, Charles Rose (1771-1845), of Claremont, Esher, Surr. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年5月25日閲覧。
- ^ Higman, Barry (1998). Montpelier. Kingston: University of the West Indies Press. p. 24
- ^ a b Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. pp. 488-489
- ^ a b “Seaford, Baron (UK, 1826)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月25日閲覧。
- ^ Stephens, Henry (1889). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 17. London: Smith, Elder & Co. p. 274.
- ^ a b c d e f “Howard de Walden, Baron (E, 1597)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月25日閲覧。
- ^ Stephens, Henry (1889). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 17. London: Smith, Elder & Co. p. 273-274.
- ^ “ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト”. www.news-digest.co.uk. 2020年5月25日閲覧。
- ^ “Wealthiest Peer of England”. Denver Evening Post. (23 August 1899).
- ^ "No. 30114". The London Gazette (英語). 5 June 1917. p. 5515.