鳴滝塾
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(シーボルト宅跡から転送)
鳴滝塾(なるたきじゅく)は、文政7年(1824年)に、長崎出島の商館医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが長崎郊外に設けた私塾。診療所も兼ねていた。
概要
[編集]木造2階建てで、書庫などがあり、庭には日本各地でシーボルトが採取した薬草類が栽培された。シーボルトは出島から塾まで通い、西洋医学や自然科学など科学の幅広い分野を教授した。その一方でシーボルトは塾生に対し、日本の自然、地理、歴史、風俗に関する論文の提出を求め、優秀な論文を提出した塾生には「ドクトル」の称号を与えた。
鳴滝塾では、高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、戸塚静海など50人以上が学んだ。
私塾の跡地は現在の長崎市鳴滝にあり、1922年(大正11年)10月12日に、シーボルト宅跡の名称で国の史跡に指定された[1]。跡地に隣接して1989年(平成元年)に長崎市によりシーボルト記念館が開館された。
鳴瀧という地名は、第24代長崎奉行の牛込忠左衛門勝登が、京都の鳴瀧にあやかって名付けた。
主な塾生
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]座標: 北緯32度45分19.5秒 東経129度53分32.7秒 / 北緯32.755417度 東経129.892417度