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渋谷ジァン・ジァン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジァンジァンから転送)

小劇場 渋谷ジァン・ジァン(しょうげきじょう しぶやジァン・ジァン)は、東京渋谷日本基督教団 東京山手教会地下に1969年7月から2000年4月まで存在した、収容観客数200人未満の小劇場である。内部は大変狭く、舞台の左右に観客席があるという変則的なスタイルが特徴で、文字通りアンダーグラウンド芸術の発信地として機能してきた。

歴史

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オーナーの高嶋進は1932年新潟県生まれ、青山学院大学文学部出身。まだ街灯もなかった公園通りに1969年渋谷ジァンジァンをオープン後、1977年名古屋ジァンジァン、1980年沖縄ジァンジァン、1983年座間味ジァンジァンを開店[1]

渋谷ジァンジァンでは、中村伸郎の一人芝居『授業』(イヨネスコ不条理劇で11年間上演された)、シェイクスピア・シアター出口典雄主催、演出。1970年代当時は画期的だったジーンズなど現代服姿の若手俳優によるシェイクスピア連続上演)、淡谷のり子高橋竹山などのライブや永六輔のトークなど、断続的公演ながら長期にわたっての人気を得たプログラムが多数あった。イッセー尾形の一人芝居や三遊亭圓丈の実験落語もこのジァン・ジァンで始められたものである。人気のあるプログラムでは、開場の数時間前から地下に続く階段に座り込んで待ち、座席を確保しようとする客も少なくなかった。

1980年代まで、同地下内には演劇集団「安部公房スタジオ」が隣接しており、近隣には西武劇場を擁する渋谷パルコがあった。更にその周辺には渋谷公会堂NHKホールもあり、西武流通グループのイメージ戦略にも支えられて、ジァン・ジァンのある渋谷公園通り一帯が先端文化の発信地としての役割を担っていたと言える。しかし、時代の変化や経済的な不況、家主との確執など様々な要因が重なり、ジァン・ジァンは2000年4月25日に公演を終え、閉鎖された。

2012年11月には秋田市の繁華街に「ジァンジァンプチ」というライブハウスが開業した。オーナーは地元出身で、かつて同館にシャンソン歌手として出演していた小山統太郎で、ロゴは渋谷時代と同じものを使用している[2]

2017年現在、東京山手教会の地下1階には株式会社銀座ルノアールが運営する「Cafe Miyama 渋谷公園通り店」が入居しており[3]、ジァンジァンのスペースはライブハウス「公園通りクラシックス」になっている[4]

出演したアーティスト

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荒井由実中島みゆき吉田拓郎井上陽水浜田省吾五輪真弓忌野清志郎泉谷しげる加奈崎芳太郎西田昭彦チューリップオフコース六文銭吉田美奈子矢沢永吉宇崎竜童甲斐バンド長谷川きよし古井戸嘉手苅林昌宮城まり子宝田明中村伸郎雪村いづみ上月晃高橋竹山遠藤トム也川本喜八郎前野博アキコ・カンダ小松原庸子長嶺ヤス子ヨネヤマ・ママコ淡谷のり子美輪明宏寺山修司浅川マキ永六輔中村八大マルセ太郎イッセー尾形シティボーイズ坂本龍一矢野顕子朝比奈隆モロ師岡ダウンタウンブギウギバンドなぎら健壱所ジョージバナナマン劇団東京乾電池嵐徳三郎(七代目)、小山田宗徳鴻池薫南かおる四人囃子ザ・モップス頭脳警察ブルース・クリエイション嵯峨美子流山児★事務所月田秀子おすぎとピーコアレクサンダー大塚清水ミチコ篠井英介渡辺えり子和泉元彌三宅藤九郎峰さを理古舘伊知郎伊奈かっぺい三遊亭圓丈コント山口君と竹田君冷泉公裕小林亜星野坂昭如外波山文明早川義夫原田大二郎伊藤多喜雄溝口肇みなみらんぼう鈴木雅之松島トモ子坪山豊太田裕美深沢敦金谷ヒデユキ森雪之丞中島啓江桂三枝花房徹劇団鳥獣戯画眞帆志ぶき伊藤キム立川志らく牧伸二九重佑三子丸山浩路常田富士男仲井戸麗市、など。

外国人演者としては、ジュリエット・グレコなど。

関連書籍

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  • 『ジァンジァン狂宴』(左右社)

脚注

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外部リンク

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