ジェイコブ・プレイデル=ブーヴェリー (第2代ラドナー伯爵)
第2代ラドナー伯爵ジェイコブ・プレイデル=ブーヴェリー(英語: Jacob Pleydell-Bouverie, 2nd Earl of Radnor FRS FSA、出生名ジェイコブ・ブーヴェリー(Jacob Bouverie)、1750年3月4日 – 1828年1月27日)は、イギリスの貴族、政治家。1771年から1776年まで庶民院議員を務めた[1]。1765年から1776年までフォルクストン子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]初代ラドナー伯爵ウィリアム・ブーヴェリーと1人目の妻ハリエット(Harriet、旧姓プレイデル(Pleydell)、1750年5月29日没、初代準男爵サー・マーク・ステュアート・プレイデルの娘)の息子として、1750年3月4日に生まれ、15日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエアで洗礼を受けた[1]。1762年よりハーロー校で教育を受けた後[2]、1767年7月8日にオックスフォード大学ユニヴァーシティ・カレッジに入学、1770年にB.A.の学位を、1773年にM.A.の学位を修得した[3]。1768年10月14日に母方の祖父が死去すると、その遺産を継承、遺言状に基づき姓を「プレイデル=ブーヴェリー」に改めた[1]。
1771年5月、叔父エドワード・ブーヴェリー閣下が庶民院議員を辞任して、ソールズベリー選挙区の議席をフォルクストン子爵に譲った[4]。ブーヴェリー家のソールズベリー選挙区における勢力は強く、フォルクストン子爵は1774年イギリス総選挙で再選した[5]。議会では1772年3月に議会の会期短縮法案に賛成、1772年4月に国教忌避者解放を支持、1774年2月にグレンヴィル法を恒久法にする法案に賛成、同年にケベック法に反対した[2]。
1776年1月28日に父が死去すると、ラドナー伯爵位を継承した[1]。貴族院では同年5月20日に初演説した[2]。貴族院に移籍した後はノース内閣に対する野党の立場を取り続け、フォックス=ノース連立内閣期(1783年)ではチャールズ・ジェームズ・フォックスの東インド法案に反対票を投じ、第1次小ピット内閣期(1783年 – 1801年)では首相小ピットを支持した[2]。ソールズベリー選挙区では1776年から1802年まで弟ウィリアム・ヘンリーが、1802年から1828年まで長男ウィリアムが当選し続け、ラドナー伯爵は選挙区管理をめぐり息子に度々アドバイスした[6]。選挙区での世論にも気を配り、息子にカトリック解放への賛成票を投じないよう命じてソールズベリーの地方自治体(corporation)を怒らせないようにした[6]。
1791年から1819年12月9日までバークシャー統監を務めた[7]。
1779年4月15日、ロンドン考古協会フェローに選出された[8]。1795年2月12日、王立協会フェローに選出された[9]。
1828年1月27日に死去、息子ウィリアムが爵位を継承した[1]。第2代ラドナー伯爵の手紙は現存しないものの、議会での演説や投票が詳しく記載された手帳は1964年時点でもラドナー伯爵家が所有している[2]。
家族
[編集]1777年1月24日、アン・ダンクーム(Anne Duncombe、1750年6月10日 – 1829年10月14日、初代フェヴァーシャム男爵アンソニー・ダンクームの娘)と結婚[1]、5男3女をもうけた[2]。
- メアリー・アン(1778年4月23日 – 1790年10月5日[10])
- ウィリアム(1779年5月11日 – 1869年4月10日) - 第3代ラドナー伯爵[1]
- ダンクーム(1780年6月28日 – 1850年11月5日) - 海軍軍人、庶民院議員。1809年12月27日、ルイーザ・メイ(Louisa May、ジョセフ・メイの娘)と結婚、1女をもうけた[11]
- ローレンス(1781年8月6日 – 1811年11月22日[10])
- ハリエット(1782年9月2日 – 1794年12月31日[10])
- バーバラ(1783年10月17日 – 1798年6月26日[10])
- フレデリック(1785年11月16日 – 1857年6月6日) - 聖職者。1814年2月1日、エリザベス・サリヴァン(Elizabeth Sullivan、1846年7月2日没、初代準男爵サー・リチャード・ジョセフ・サリヴァンの娘)と結婚、子供あり[12]
- フィリップ(1788年10月21日 – 1872年5月23日) - 庶民院議員。1811年11月7日、マリア・エイコート(Maria A’Court、初代準男爵サー・ウィリアム・エイコートの娘)と結婚、子供あり[13]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 319–320.
- ^ a b c d e f Brooke, John (1964). "PLEYDELL BOUVERIE, Jacob, Visct. Folkestone (1750-1828).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月9日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 140.
- ^ Drummond, Mary M. (1964). "BOUVERIE, Hon. Edward (1738-1810), of Delapre Abbey, Northants.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月9日閲覧。
- ^ Cannon, J. A. (1964). "Salisbury". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月9日閲覧。
- ^ a b Thorne, R. G. (1986). "Salisbury". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月9日閲覧。
- ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
- ^ A List of the Members of the Society of Antiquaries of London, from Their Revival in 1717, to June 19, 1796 (英語). London: John Nichols. 1798. p. 32.
- ^ "Pleydell-Bouverie; Jacob (1750 - 1828); 2nd Earl of Radnor". Record (英語). The Royal Society. 2021年9月9日閲覧。
- ^ a b c d Lodge, Edmund (1834). The Peerage of the British Empire, as at Present Existing (英語) (3rd ed.). London: Saunders and Otley. p. 369.
- ^ Farrell, Stephen (2009). "PLEYDELL BOUVERIE, Hon. Duncombe (1780-1850), of Clyffe Hall, Market Lavington, Wilts.". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月9日閲覧。
- ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 1658–1659.
- ^ Farrell, Stephen (2009). "PLEYDELL BOUVERIE, Hon. Philip (1788-1872), of Down Ampney House, Glos.; 36 Curzon Street and 11 Haymarket, Mdx.". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月9日閲覧。
外部リンク
[編集]グレートブリテン議会 | ||
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先代 エドワード・ブーヴェリー閣下 スティーブン・フォックス閣下 |
庶民院議員(ソールズベリー選挙区選出) 1771年 – 1776年 同職:スティーブン・フォックス閣下 1771年 – 1774年 ウィリアム・ハッシー 1774年 – 1776年 |
次代 ウィリアム・ハッシー ウィリアム・ヘンリー・ブーヴェリー閣下 |
名誉職 | ||
先代 クレイヴェン男爵 |
バークシャー統監 1791年 – 1819年 |
次代 クレイヴェン伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ウィリアム・ブーヴェリー |
ラドナー伯爵 1776年 – 1828年 |
次代 ウィリアム・プレイデル=ブーヴェリー |