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ジェイソン・ワース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェイソン・ワース
Jayson Werth
ワシントン・ナショナルズでの現役時代
(2017年5月8日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州スプリングフィールド
生年月日 (1979-05-20) 1979年5月20日(45歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1997年 MLBドラフト1巡目
初出場 2002年9月1日
最終出場 2017年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェイソン・リチャード・ワースJayson Richard Werth, 1979年5月20日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州スプリングフィールド出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

祖父のダッキー・スコーフィールド英語版は元メジャーリーガーで、主に遊撃手として19年間メジャーでプレー、ダッキーの息子で叔父のディック・スコーフィールド英語版も主に遊撃手で14年間メジャーでプレーした。また、継父デニス・ワース英語版も元メジャーリーガーで、主に一塁手として、4年間メジャーでプレーした。

経歴

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プロ入りとオリオールズ傘下時代

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1997年6月17日、MLBドラフト1巡目(全体22位)でボルチモア・オリオールズから指名され、プロ入り。入団当時は捕手だった。

ブルージェイズ時代

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2000年11月11日に、ジョン・ベイルとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した。

2002年から、本格的に外野手へ転向する。同年9月1日に、同球団からメジャーデビューを果たす。

ドジャース時代

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2004年3月29日にジェイソン・フレイザーとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。同年シーズンは、89試合の出場で16本塁打・47打点を記録。

2005年は正左翼手として期待されるも、102試合で.234・7本塁打・43打点の成績に終わった。

2006年は左手首の怪我でメジャーでのプレー機会はなかった。

フィリーズ時代

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2006年12月に1年契約でフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。

2007年から、2年ぶりにメジャーリーグに復帰した。

2008年1月7日に、再びフィリーズと1年契約を結ぶ。開幕当初は4番目の外野手兼左打ちのジェフ・ジェンキンスとのプラトーン要員だったが、そのジェンキンスが打撃不振と故障に苦しんでいたため、右翼手のレギュラーポジションを完全に奪取した。終わってみれば、134試合で.273・24本塁打・67打点・20盗塁を記録、フィリーズのワールドシリーズ出場に貢献、さらにタンパベイ・レイズとのワールドシリーズでは全試合先発出場し、第4戦の8回裏にダン・ウィーラーから2ラン本塁打を放ち、世界一に貢献した。

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2009年10月18日)

2009年5月12日のドジャース戦で1塁ベースから本塁まで1イニングに3盗塁した。これは大リーグで1980年5月11日にピート・ローズシンシナティ・レッズに対して1イニングに3盗した以来の記録だった[要出典]。同年7月、自身初のオールスター出場を果たした。シーズン通じては、自己最高の36本塁打を放ち、99打点を記録。また、ポストシーズンではアンディ・ペティットからの2本塁打を含み、15試合で7本のホームランを放った。

2010年オフにFAとなった。

ナショナルズ時代

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2010年12月5日にワシントン・ナショナルズと7年総額1億2600万ドルで契約合意。

2012年、4月13日の金曜日、延長13回にサヨナラヒットを放った。これは1963年のウィリー・スタージェル以来だが、この時サヨナラのホームを踏んだのは、祖父のダッキー・スコフィールドであった。

2013年、129試合の出場で打率.318・25本塁打・82打点という好成績をマーク。2012年は規定打席に到達していないとは言え、2年連続での打率.300超えするなど、OPSは自己最高の.931(リーグ3位)という数値を記録した。

2014年、右翼手のレギュラーで147試合に出場し、惜しくも3年連続での打率.300以上は逃したものの、.292という数値をマーク。ホームランは16本まで減少したが、得点圏で打率.338とよく打ち、2年連続で82打点を叩き出した。前述の通り、ホームランこそ減ったが二塁打を大幅に増やし(37本・自己2位)、長打数は前年の49本から54本まで増えた。

2015年は1月9日に右肩の手術を受けた[1]。シーズンでは88試合の出場に留まり、3シーズンぶりに規定打席到達を逃した。打撃面では、3年連続2桁本塁打となる12本塁打を放ったが、打率.221・出場試合数とほぼ同等の84三振を喫した。また、メジャーデビュー以来、初めて0盗塁に終わった。

2016年4月19日のマイアミ・マーリンズ戦で通算200本塁打を達成した。同年は143試合に出場したが、打率.244・21本塁打・69打点・5盗塁と2年続けて結果を残せなかった。

2017年6月3日のオークランド・アスレチックス戦で左足に中足骨骨折と打撲傷を負い、故障者リスト入り[2]。復帰戦となった8月28日のマイアミ・マーリンズ戦では本塁打を放った。最終成績は70試合の出場で打率.226・10本塁打・29打点に終わった。11月2日とFAとなった[3]

マリナーズ傘下時代

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2018年3月27日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶと報じられ[4]、4月3日に正式契約。4月24日に傘下のAAA級タコマ・レイニアーズへ配属され[5]、36試合に出場して打率.206・4本塁打・19打点の成績を残した。6月27日に引退を表明[6]

引退後

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2018年9月8日、ワシントンD.C.の野球に貢献した人物を称える「Ring of Honor」に選出された[7]

選手としての特徴

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ポジションは主に右翼手だが、左翼手、中堅手も守ることができる。また一塁手としてもプレーした経験がある。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2002 TOR 15 53 46 4 12 2 1 0 16 6 1 0 0 1 6 0 0 11 4 .261 .340 .348 .687
2003 26 51 48 7 10 4 0 2 20 10 1 0 0 0 3 0 0 22 0 .208 .255 .417 .672
2004 LAD 89 326 290 56 76 11 3 16 141 47 4 1 1 1 30 0 4 85 1 .262 .338 .486 .825
2005 102 395 337 46 79 22 2 7 126 43 11 2 1 3 48 2 6 114 10 .234 .338 .374 .711
2007 PHI 94 304 255 43 76 11 3 8 117 49 7 1 2 1 44 1 2 73 0 .298 .404 .459 .863
2008 134 482 418 73 114 16 3 24 208 67 20 1 0 3 57 1 4 119 2 .273 .363 .498 .861
2009 159 676 571 98 153 26 1 36 289 99 20 3 0 6 91 8 8 156 11 .268 .373 .506 .879
2010 156 652 554 106 164 46 2 27 295 85 13 3 0 9 82 6 7 147 11 .296 .388 .532 .921
2011 WSH 150 649 561 69 130 26 1 20 218 58 19 3 0 4 74 5 10 160 10 .232 .330 .389 .718
2012 81 344 300 42 90 21 3 5 132 31 8 2 0 1 42 2 1 57 3 .300 .387 .440 .827
2013 129 532 462 84 147 24 0 25 246 82 10 1 0 5 60 3 5 101 9 .318 .398 .532 .931
2014 147 629 534 85 156 37 1 16 243 82 9 1 0 3 83 3 9 113 9 .292 .394 .455 .849
2015 88 378 331 51 73 16 1 12 127 42 0 1 0 6 38 0 3 84 8 .221 .302 .384 .685
2016 143 606 525 84 128 28 0 21 219 69 5 1 0 6 71 0 4 139 17 .244 .335 .417 .752
2017 70 289 252 35 57 10 1 10 99 29 4 3 0 1 35 1 1 69 4 .226 .322 .393 .715
MLB:15年 1583 6366 5484 883 1465 300 22 229 2496 799 132 23 4 50 764 32 64 1450 99 .267 .360 .455 .816
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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一塁守備


一塁(1B)












2007 PHI 1 1 0 0 0 1.000
MLB 1 1 0 0 0 1.000
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































2002 TOR 4 5 0 0 0 1.000 1 6 0 0 0 1.000 10 22 1 0 0 1.000
2003 - 1 6 0 0 0 1.000 19 23 1 0 0 1.000
2004 LAD 65 116 6 4 2 .968 6 11 0 0 0 1.000 14 19 0 0 0 1.000
2005 64 84 3 0 0 1.000 30 63 0 3 0 .955 43 71 3 0 2 1.000
2007 PHI 37 35 2 0 1 1.000 2 3 0 0 0 1.000 58 109 7 2 1 .983
2008 28 15 0 0 0 1.000 31 73 2 2 1 .974 88 143 7 0 1 1.000
2009 3 3 1 0 0 1.000 12 23 0 2 0 .920 146 327 10 4 4 .988
2010 - 21 44 0 0 0 1.000 135 249 8 4 2 .985
2011 WSH - 19 55 1 0 1 1.000 134 287 10 8 3 .974
2012 - 11 14 0 1 0 .933 76 152 4 0 1 1.000
2013 - - 126 235 7 2 1 .992
2014 - - 139 247 8 5 1 .981
2015 76 104 3 2 0 .982 - 14 9 0 0 0 1.000
2016 131 197 5 1 1 .995 - 2 4 0 0 0 1.000
2017 51 92 1 1 0 .989 - 16 24 0 3 0 .889
MLB 459 651 21 8 4 .988 134 298 3 8 2 .974 1020 1921 66 28 16 .986
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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記録

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背番号

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  • 54(2002年)
  • 13(2003年)
  • 28(2004年 - 2005年、2007年 - 2017年)

脚注

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  1. ^ ナショナルズのワースが右肩手術へ日刊スポーツ 2015年1月9日掲載
  2. ^ Rapp, Timothy. “Jayson Werth Reveals Foot Fracture Injury, Bone Bruise, Return Remains Unclear”. Bleacher Report. 2019年12月9日閲覧。
  3. ^ Key free agents for all 30 MLB teams MLB.com (英語) (2017年11月5日) 2017年12月27日閲覧
  4. ^ Greg Johns (2018年3月27日). “Mariners sign Werth to Minor League deal” (英語). MLB.com. 2018年5月21日閲覧。
  5. ^ MLB公式プロフィール参照。2018年5月20日閲覧。
  6. ^ Deesha Thosar (2018年6月27日). “Werth announces retirement after 15-year career” (英語). MLB.com. 2018年6月28日閲覧。
  7. ^ Werth to be added to Nats Ring of Honor”. WTOP. 2018年7月13日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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